再始動 ― 2006年11月05日 15時25分15秒
と言っても、EC-02のことではありません。残念ながら半径5キロメートルの檻の中で眠りについています。
さて、このところネット公開用でないほうの原稿を頑張って書いています。去年の秋も少し書いてたのですが、結局すぐに進まなくなって、そのままになっていました。風邪の時読み返していて、再開しようという気分になったのでした。
毎日がどんなだろうと、仮に一枚分でも原稿が進めば、もうそれで十分意味のある一日だったように思えます。その辺りが、「本業」たるゆえんなのだろうかと思います。いつか発表の場が得られれば、良いのですが。
で、このところずっとノートパソコンを持たずに来たのですが、やはりPDAだけだと何かと不便だなと思って、久方ぶりにモバイル向けのノートを買いました。大昔、憧れの超ミニパソコンだったリブレットの最新型。ただし中古。なかなかかっこいいデザインだと思います。このくらい小さいと、コーヒースタンドなんかで使っていても、電子辞書を使ってる人(最近とても多い)にまぎれるので、目立ちにくくて良さそうです。
さて、このところネット公開用でないほうの原稿を頑張って書いています。去年の秋も少し書いてたのですが、結局すぐに進まなくなって、そのままになっていました。風邪の時読み返していて、再開しようという気分になったのでした。
毎日がどんなだろうと、仮に一枚分でも原稿が進めば、もうそれで十分意味のある一日だったように思えます。その辺りが、「本業」たるゆえんなのだろうかと思います。いつか発表の場が得られれば、良いのですが。
で、このところずっとノートパソコンを持たずに来たのですが、やはりPDAだけだと何かと不便だなと思って、久方ぶりにモバイル向けのノートを買いました。大昔、憧れの超ミニパソコンだったリブレットの最新型。ただし中古。なかなかかっこいいデザインだと思います。このくらい小さいと、コーヒースタンドなんかで使っていても、電子辞書を使ってる人(最近とても多い)にまぎれるので、目立ちにくくて良さそうです。
竜巻、またしても ― 2006年11月07日 23時58分46秒
以前にも一度書いたが、子供の時から「竜巻」というものに、恐怖混じりの憧れを抱いていて、夢にも良く出てきた。一度見たいものだと思うこともあるのだが、しかし実際に目の前に現れたらどれほど恐ろしいだろう。
今年は何という年なのだろうか、またしても竜巻で多数の犠牲者が出てしまった。過去数十年の死亡者総数を今年だけで上回ったのではないか。今回のは、藤田スケール(竜巻の規模を表す単位、F5が事実上最大)でF3ではないかという話もあり、これは国内で見られる最強のクラスである。
あちこちのニュースで、今回の竜巻を住民の人が撮った写真が掲載されている。実にまがまがしく、恐ろしい。「一度見たい」などという言葉は、この被害を前にしては吹き飛んでしまう。
(写真は本文とは関係ありません)
今年は何という年なのだろうか、またしても竜巻で多数の犠牲者が出てしまった。過去数十年の死亡者総数を今年だけで上回ったのではないか。今回のは、藤田スケール(竜巻の規模を表す単位、F5が事実上最大)でF3ではないかという話もあり、これは国内で見られる最強のクラスである。
あちこちのニュースで、今回の竜巻を住民の人が撮った写真が掲載されている。実にまがまがしく、恐ろしい。「一度見たい」などという言葉は、この被害を前にしては吹き飛んでしまう。
(写真は本文とは関係ありません)
マイ・ロスト・シティー(3) ― 2006年11月10日 22時50分25秒
(前回までのあらすじ)
初めて読んだフィッツジェラルドの小説は、大学の英語のテキストだった「Ice Palace」だった。翻訳の解答書代わりに買ったのが村上春樹訳の「マイ・ロスト・シティー」だったのだが、その時は「氷の宮殿」に感銘を受けただけで、それきりフィッツジェラルドのことは忘れてしまった。数年後、村上春樹を読み始めて、初めて「マイ・ロスト・シティー」のことを想い出したのだった。
というわけで、ついにと言うべきか、村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」が出ました。もちろん野崎孝訳で一度読んでる(これって、「ライ麦畑」と同じパターンだ)わけですが、「リッチ・ボーイ」などと比べてフィッツジェラルドの最高傑作とまでは思えなかったこの作品、しかしやはり村上訳で読んでみたいとずっと思っていました。村上氏自身、翻訳に踏み切るまで二十年を要したそうです。
外からの評価と、内面の喪失感のギャップをひしひしと感じる今日この頃、これを読むことになったのも何かの縁なのかな。
初めて読んだフィッツジェラルドの小説は、大学の英語のテキストだった「Ice Palace」だった。翻訳の解答書代わりに買ったのが村上春樹訳の「マイ・ロスト・シティー」だったのだが、その時は「氷の宮殿」に感銘を受けただけで、それきりフィッツジェラルドのことは忘れてしまった。数年後、村上春樹を読み始めて、初めて「マイ・ロスト・シティー」のことを想い出したのだった。
というわけで、ついにと言うべきか、村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」が出ました。もちろん野崎孝訳で一度読んでる(これって、「ライ麦畑」と同じパターンだ)わけですが、「リッチ・ボーイ」などと比べてフィッツジェラルドの最高傑作とまでは思えなかったこの作品、しかしやはり村上訳で読んでみたいとずっと思っていました。村上氏自身、翻訳に踏み切るまで二十年を要したそうです。
外からの評価と、内面の喪失感のギャップをひしひしと感じる今日この頃、これを読むことになったのも何かの縁なのかな。
A message song ― 2006年11月12日 21時47分56秒
(「メッセージ・ソング」,「JPN」M-8,PIZZICATO FIVE)
大聖寺、17:22 ― 2006年11月15日 23時05分18秒
加賀市の中心市街地に当たる場所なのに、ひどく淋しげな感じのする街だった。温泉郷が、活気を持って行ってしまったのかも知れない。夢の中には、こんな街がよく出てくる。
オールド・スポート ― 2006年11月19日 00時11分27秒
さて、村上訳「グレート・ギャツビー」ですが、他の小説と平行しながら、ごくゆっくりと読み続けています。その気になれば数時間で読めてしまいますが、ストーリーなどは知っているわけで、それでは面白くありません。(ちなみに他の小説というのが、十年ぶりに読み返してる「ドサ健ばくち地獄」だったりするのがすごいギャップなんですが。)
すでに各所で話題なのではとは思いますが、ギャツビー氏が主人公を呼ぶときの「オールド・スポート」と言う言葉、これがなんとも不思議な感じです。野崎訳では「親友」となっていましたが、村上訳では原文のままにしたようです。しかしちょっと、使ってみたくなりますね、これ。そう思いませんか?オールド・スポート。
すでに各所で話題なのではとは思いますが、ギャツビー氏が主人公を呼ぶときの「オールド・スポート」と言う言葉、これがなんとも不思議な感じです。野崎訳では「親友」となっていましたが、村上訳では原文のままにしたようです。しかしちょっと、使ってみたくなりますね、これ。そう思いませんか?オールド・スポート。
11月 ― 2006年11月20日 21時40分25秒
11月というのは、僕にとっては6月と並んで気持ちが沈みがちな時期になっている。過去には、深刻な事態に至ったこともないではない。
しかし、ちょうど一年前のこのブログを読むと、GRdigitalを買ったりキリンジ弟のソロアルバムに喜んだりで、存外元気にやっていたようだ。なかなか、面白い。11/17には、「近いうちに村上訳のグレート・ギャツビーが読める日もくるだろう」などと書いてあったりする。
確かに去年と今となら、去年のほうがまだしも幸せだったろう。しかし今は、少なくともどこか前に進もうとはしている、それが救いではある。
しかし、ちょうど一年前のこのブログを読むと、GRdigitalを買ったりキリンジ弟のソロアルバムに喜んだりで、存外元気にやっていたようだ。なかなか、面白い。11/17には、「近いうちに村上訳のグレート・ギャツビーが読める日もくるだろう」などと書いてあったりする。
確かに去年と今となら、去年のほうがまだしも幸せだったろう。しかし今は、少なくともどこか前に進もうとはしている、それが救いではある。
さよなら、ギャツビー ― 2006年11月23日 23時33分17秒
ジェイ・ギャツビーは5年の間、たった一人の相手を求め続け、そのために全てをつぎ込み、しかし何一つ得ることはできなかった。もし時間が戻せたとしても、きっと同じことをくり返すに違いないだろう。しかし、彼の時間はもう二度と戻らない。我々と、同じように。
ネオン塔 ― 2006年11月25日 21時44分48秒
雨は、止まない ― 2006年11月27日 22時25分34秒
もう、一歩も歩けないと言うのに。
最近のコメント