ICOMOSに感謝2015年05月04日 20時51分09秒



つい先ほど、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産への登録を勧告されたというニュースが入ってきた。何とか保存してほしいけど、世界遺産は厳しいんじゃないかと思っていたので、これは嬉しい知らせである。まだ最終的に登録されるかどうかは分からないが、可能性が一気に高まったのは間違いない。

実はこのところ、次作を書く関係で軍艦島関連の本を持ち歩いていて、今日も夕方に資料を読みながら文章を打っていたばかりだった。数年前にツアーで上陸したのも、これを書くための取材みたいなものだったくらいで、実際に手を付けたら途端にこういう知らせが入るというのも何かの縁のように感じる。
もっとも、今の実力ではまだ満足の行く出来上がりになる可能性は低そう。まあ、ライフワークみたいなものだろうと思っている。

日吉ダムは耐えた2013年09月18日 22時49分37秒





今回の台風18号被害の影で、災害の拡大を防いだのが桂川上流の日吉ダムだった。
ピーク時は、毎秒1800立米というダム建設以来最大の流入量を受け止めながら、平常時の放流量である毎秒約150立米に放流をとどめ、満タン状態である洪水時最高水位になるその瞬間まで放流の量を決して増やさずに耐え続けた。

大雨の当日、某うらみち管理人からの情報で、僕は水資源機構のサイトにリアルタイムに表示される水位を固唾を飲んで見守っていたのだが、16日の正午前についに日吉ダムは最高水位に達した。この時点でも流入量は放流量の五倍以上あったから、ここで流さないと水が無秩序にあふれることになる。決壊でもしたらえらいことである。

やむなく、ということになるのだろうが、この時点で初めて緊急放流が始まった。
ここで急激に放流を増やしたら一体どうなることか、どうか何事も起きないようにと神にも祈るような気持ちだったが、この時点では桂川水系の水量はすでに危機的な状況を脱していたらしい。結果的にはこの放流によるさらなる被害は発生しなかったようだ。
このダムが建設されていなければ、ピーク時の最大流入量、毎秒1800立米の水がまともに下流を直撃したことになる。そうなればさすがに、うちの辺りだって危なかったかも知れない。
放流のせいで被害が拡大したという話もあるようだが、こちらはリアルタイムで流量を見続けていたのだから、それが事実でないことは知っている。水資源機構のサイトにあるグラフを見ればすぐにわかることだ。

以前も一度見学したことがあるが、また機会があれば感謝の意をこめて、日吉ダムの見学に行ってみたいと思う。

旧紀州鉱山のトロッコ列車2012年05月22日 19時48分30秒


旅行の二日目、龍神温泉から本宮を経由して新宮方面へと向かう途中で、そう言えばこの辺りに鉱山鉄道が残っている場所があったような、ということを思い出した。調べてみると、湯ノ口温泉というところに旧紀州鉱山のトロッコ列車が残っていて、温泉へ向かう交通手段として使われているらしい。
面白そうなので、立ち寄ってみようと言うことになった。

酷道の狭い山道を走り抜け、湯ノ口温泉にあるという駅にたどり着くと、間もなくトロッコ列車がホームに入ってきたのだが、その車両を見て驚いた。まるで現役当時の鉱山鉄道そのものと言うべき極小の木造車両で、窓にガラスがあること以外は当時の「人車」そのままということらしい。

喜び勇んで乗り込むと、車内はものすごい狭さで、頭がつかえそうなほど天井は低い。走り出すと、足元からゴトゴトと強い振動が伝わってきて、恐ろしくうるさい。全線ほぼトンネル内というのも、いかにも鉱山鉄道という感じ。
所要時間はわずか十分間程度だったが、他の観光用「トロッコ」とは桁違いにリアルなこのトロッコ、非常に楽しくて、仲間と一緒に大はしゃぎしてしまった。
もちろん黒部峡谷鉄道だの大井川鉄道のダイナミックな路線とは比較にならないが、本物の鉱山鉄道を体験できるという点で、このトロッコ列車、おすすめである。





そして、軍艦島2011年07月22日 20時35分18秒







子供の時からずっと興味のあったあの軍艦島、今回ついに訪れることが出来ました。台風の接近で危ぶんでいた上陸も難なく果たすことが出来て、これ以上の満足はありません。天気が良すぎるくらいで、上陸中はものすごく暑かったですが(何せ陽を遮る物が何もなく、人工の地面はコンクリートで固められているので)、そんなことどうでも良くなるくらいに夢中になりました。

かつて五千人もの人間が暮らしたその海上都市が、無人になった今も当時の姿をとどめているというそのものすごさは胸に迫る物があり、船から全景を眺めつつ目頭が熱くなりました。これは何としてでも世界遺産にする価値があると思います。

昔、軍艦島をモデルに短編を書いたことがあります。今の僕から見ると、どうにもならない出来ではあるのですが、あれを何とか形にしたいという気持ちはずっとあり、今回はそのための取材という意図もありました。現地を実際に目にして、いつか必ず書き上げようという気持ちが固まりました。モチベーションという面から見ても、非常に有意義な訪問でした。

地底と湖底2009年05月30日 23時56分47秒





今日は、明日を限りに閉鎖になるという、旧京北町の「丹波マンガン記念館」を見に行ってきました。今回が2回目ですが、強制連行されてきた労働者が地底深く掘った坑道に、その作業の様子を展示してあると言ういろんな意味でディープなスポット。国道沿いに看板がいくつも立っているので、存在を知っている人は結構いるのですが、実際に見た人は少ないと思います。閉鎖は非常に残念。

帰り道に日吉ダムに立ち寄って、なんとダムの内部を見学できる施設があると言うことを知りました。営業終了時刻ぎりぎりでしたが何とか間に合って、ダムの内部の空間と言う不思議な場所を見ることができました。

しかし、どちらも閉鎖空間と言う点では良く似ていますが、そのたたずまいの何と違うことか。ひたすら人力で作った空間と、土木技術の粋を凝らして作り上げられた空間と。

楽しい土木遺産2007年06月05日 21時27分50秒

「推奨土木遺産」、と言うのがあるようで、近頃行く先々で見かける。最初に意識したのは和歌山県の友ヶ島砲台を見に行ったときだが、どうも調べてみると2001年に始まった制度のようだ。

なにせ「土木」だから、橋とかダムとか実に渋い。元々近代化遺産には興味があったので、あちこちで見かけると必ず写真を撮っている。土木遺産だと知らずに撮影していたものもあるようで、例えば「三国湊」について書いたときに写真を載せた突堤、あれは「三国港エッセル堤」と言うそうで、これも土木遺産である。面白そうなので、いずれまとめて紹介するようなコーナーを作るかも知れないが、とりあえずここにも載せていくつもり。(カテゴリーに「土木遺産」を追加)

写真は、鳥取県若桜町の「若桜橋」。昭和9年に完成した、コンクリート製三連アーチ橋だそうです。

三国湊2007年04月30日 18時52分19秒

昨日は、以前からずっと一度行こうと予定していた、福井県の三国に行ってきました。運が悪くて、行こうと思ったときに限って天気が悪いというパターンが続いたのですが、昨日はずっと晴れで、暑いくらいでした。町並みは、完璧に残っているという感じではありませんでしたが、独特の様式の建物が数多く残っていました。「町並み復元地域」と名付けられた一画では、観光客も結構いて意外な感じがしましたが、東尋坊がすぐそばなので立ち寄るコースになっているのかも知れません。

写真は、三国港の突堤。すぐ近くがビーチになっていて、サーフィンをしている人が大勢いました。海を見てると、早く夏にならないかな、と思ったりするのでした。

帰りは、弟と彼女が彦根まで車で来てたので便乗。大津まで帰ってきて一緒に夕食をしたのですが、久々に膳所の某ファッションビルに行ったら、なんだか随分淋しくなっているような気が。OPAも潰れてしまったし、やっぱり京都に隣接するこの町は、なかなか難しいところに来ているようです。

廃墟2006年01月22日 02時04分57秒

結局眠れず。明日は、美術館にでも行こう。
(写真は友ヶ島の砲台跡)