20年ぶりの江津 ― 2022年10月30日 13時15分01秒
(山陰本線の車窓)
(江津本町)
申し込み殺到であっという間に枠がなくなってしまった「全国旅行支援」ですが、どうにか島根県の江津で一泊分を確保できたので、旅行に出かけて来ました。
出雲市よりも西側に行ったのは、旧旅行メンバーと行った2001年以来なので、20年ぶり。
この時は浜田に泊まって石見銀山や温泉津などを見たのでしたが、江津は駅前で休憩しただけでした。
18きっぷしばりだった夏の旅行と違い、今回は新幹線と特急2本を乗り継ぐ贅沢旅行でしたが、それでも遥か江津についたのはもう15時前でした。
2本目の特急「スーパーまつかぜ」は非常に空いていて、最前列右側の席が取れたので、ずっと山陰本線の前面展望を眺めることができました。
18きっぷしばりだった夏の旅行と違い、今回は新幹線と特急2本を乗り継ぐ贅沢旅行でしたが、それでも遥か江津についたのはもう15時前でした。
2本目の特急「スーパーまつかぜ」は非常に空いていて、最前列右側の席が取れたので、ずっと山陰本線の前面展望を眺めることができました。
今回江津を目的にしたのは、以前からずっと江津本町の町並みというのを見たかったからでした。
江の川近くの谷筋にある小規模ながら整った良い町並みで、旧江津町役場の建物なども残り、すっかり気に入りました。
江の川近くの谷筋にある小規模ながら整った良い町並みで、旧江津町役場の建物なども残り、すっかり気に入りました。
ここは駅前からはちょっと離れていて、かつては三江線(2018年廃止)の「江津本町」駅が最寄りだったのですが、その廃線跡も少しだけ見てきました。
町並みの近くに残る橋脚が、まるで遺跡のようでした。
(三江線跡)
宿泊は江津駅前の中心市街地にあるホテルでしたが、旅行支援のクーポンが使える飲食店が周囲にないらしく、徒歩10分ほどのショッピングセンターが一番近いとのこと。
カフェ兼レストランみたいなのがあるようなので行ってみたら、何と人手不足とかで閉めていて、結局モスバーガーしかありませんでした。
クーポンはおつりが出ないので、高めのとびきり何とかバーガーを食べましたが、おいしかったです。こういう機会でもないと食べることはないでしょう。
静かな国道沿いをぶらぶら歩くのは、それはそれで楽しかったですが、どこも駅前は厳しいことになってきてるなあと改めて思いました。
江津市の人口は今や2万人ちょっとのようです。
(徒歩10分のゆめタウン)
(ホテルから眺める、駅前の中心市街地)
絶景廃線跡・片上鉄道跡を走る ― 2022年08月01日 10時37分50秒
コロナ時代の次世代レジャー(個人の意見です)として、最近時々出かけている廃線跡巡りですが、岡山には大物があります。旧片上鉄道の廃線跡が、ほとんど前線に渡ってサイクリングロードとして整備されていて、鉄橋やトンネル、それに駅の跡も何か所も保存されているのです。
一番有名なのは吉ヶ原の駅跡で、ここではかつての車両の保存運転なども行われており、全国的にも知られているのですが、ここは車でないとちょっと遠い。
それで、今回は和気駅から旧天瀬駅の先まで、往復12キロのコースを見てきました。和気駅前の観光案内所でレンタサイクルをすぐに借りることができるので、便利なコースです。
観光案内所は15:30まででしたが、レンタサイクルはその時間を過ぎても返しておけば大丈夫ということで、かなりゆっくり走ってきました。(観光案内所の建物は銀行の古い建物を再利用しており、それだけでも一見の価値あり)。
この区間は、ほぼ全線にわたって吉井川と並行する区間で、和気からはひたすら登りの路線となりますが、鉄道路線なので勾配はさほどではありません。
それでも、何せ気温が気温なのでペダルを漕いでいるとすぐに汗だくになってしまい、日陰で何度も停車しては水分補給しながら休息を取りましたが(押すだけで瞬間冷却できる「ヒヤロン」というのを初めて使いました。持続時間はわずかですが、かなり冷たい)
まず最初に長い鉄橋から始まるのが、なかなかテンションが上がるところで、全線に渡っていかにも鉄道跡らしい風景が見られます。さすがに列車は自転車よりはかなり速かったと思いますが、それでも当時の車窓風景を想像しながら走ることができました。広い川面を眺めながら疾走できるのも大変良い。
ハイライトはやはり天瀬駅跡。駅舎の一部が修復保存されているのですが、この風景が実にいいんですよね。以前から写真で見て、一度行ってみたいと思っていたので、ホームに立った時は嬉しかったです。
他の観光客は、一人も現れませんでした。
廃線跡の桜 ― 2021年03月28日 14時25分12秒
昨日は久しぶりに、宇治市の木幡緑道へ。ここはかつての、旧陸軍宇治火薬製造所への専用線跡地で、つまりは廃線跡。
駅を模したような休憩所まであって、これは貨物専用の引き込み線だった当時とは関係もないはずですが、それでもなかなか雰囲気にぴったりで嬉しくなります。
タイミングの良いことに桜もほぼ満開で、沿線にある許波多神社の境内も見事に春らしい風景になっていました。
旧陸軍引き込み線の、廃線跡としてのハイライトは緑道の先に続く大築堤で、短い距離ながら京阪宇治線をオーバークロスする地点など三箇所に立派な橋台が現存しています。橋桁がそのまま残っている場所まであるのが素晴らしい。「陸軍用地」の標石も、いくつも残されていました。
この先もずっとこのままでいて欲しい、大切な文化財だと思います。
江若鉄道、旧近江今津駅 ― 2020年12月13日 13時50分57秒
(右側がホーム屋根の跡)
(駅舎玄関側。この右側には、バス乗り場の屋根が続いていた)
(広大だった構内の雰囲気が分かる)
かつて、滋賀県の浜大津と近江今津の間をつないでいた江若鉄道というローカル私鉄があり、その後国鉄が同じルートに湖西線を建設するに当たって廃止になったのだったが、線路跡はその大部分が湖西線の下になったものの、50キロに及ぶ長大な路線だったので、あちこちに痕跡が残っている。
中でも最も貴重だったのが、終点の旧近江今津駅舎が残っていたことだったのだが、取り壊されるという記事が出たのを数年前に目にしたことがあり、もう残っていないのだろうと思っていた。
ところが、改めて調べて見ると、活用を前提に保存される方針に変わったということで、ちゃんと残っているらしい。
それならばということで、見に行ってみることにした。
写真の通り、三角屋根が特徴的なかわいらしい建物で、いかにも駅舎らしい姿が原型をとどめている。
整備活用となると、やはり資料館とかカフェとかだろうが、ガラス戸などが取り付けられているホームの屋根部分などは当時の形に復元してもらえるとなお良いかも知れないと期待してしまう。
(痕跡が明瞭な築堤)
(川の左右に残る橋台)
近江今津の市街地南方の数百メートルに渡っては、湖西線と並行するように廃線跡も残っている。
築堤が、平地を横切るように続く様子も分かりやすいが、小さな川にかかっていた橋の橋台が、向かい合うように残っているのが何と言っても嬉しい。
静かなるレジャー・旧鍛冶屋線跡を歩く ― 2020年11月23日 17時19分12秒
(旧鍛冶屋線跡、鍛冶屋駅・中村町駅間。鉄橋が見事)
(キハ30がホーム跡に保存されて、まるで現役のような旧鍛冶屋駅)
(復元された旧市原駅。切符売り場は当時のものを保存)
(旧野村駅・旧西脇駅間。彼方に西脇の市街地が見える)
行楽シーズン真っただ中の三連休、しかも関西は天気も割と良くて、大量の観光客があちこち繰り出しているという状況。
ところが、すでに大阪のコロナ陽性率などがかなりまずい状況になっていて、突然GOTOの見直しなどという話も出てきましたが、手遅れの感があります。
そういう訳で、あんまり出かけるべき状況でもないのですが、先週同様に車で現地に直行して、人のいないところを歩くなら問題なかろうと、昨日は兵庫県の旧鍛冶屋線の廃線跡を見てきました。
町並み歩き以上に人に会うことがなく、まさにこの時代に打ってつけの次世代型レジャーと言っても過言ではないでしょう(過言です)。
鍛冶屋線は、加古川線との分岐点である旧野村駅(現西脇市駅)と、西脇市の中心だった西脇駅との間は、廃止どころかかなり輸送量があったにも関わらず、その先の区間が振るわずに廃止になったという悲運の線で、その無念さを伝えるように駅跡などが色々整備されて残っているというので、前から興味がありました。
まずは、ホームにディーゼルカー(キハ30)が止まった状態で保存されている鍛冶屋駅をゆっくり見学。まるで現役の駅のような姿で、これは素晴らしかったです。
それから、次の中村町駅跡(旧・中町の中心駅だった)との間の線路跡(自転車道になっている)を一部歩きましたが、当時の姿をとどめる鉄橋が特に見事でした
。
続いて資料館として復元されたという市原駅を見学し(復元にしては内装が良くできてると感心してたら、切符売り場は当時のものだそうです)、最後に旧西脇駅から旧野村駅の間の廃線跡を少し歩きました。
旧西脇駅跡には、バスターミナルとホテル、ホールなどが入った巨大な複合施設ができていましたが、周囲は正直にぎわっているとは言えず。ここまでの区間だけでも、残せたら良かったのに。
かつての姿を想像しながら、町なかも少しだけ歩いてきました。
(旧西脇駅前)
久々の新駅、梅小路京都西駅(長い) ― 2019年05月19日 20時15分39秒
(短絡線跡)
(手作り市)
(元京都市電の車両を利用した休憩所)
(京菓会館おしゃれスペース)
今年の3月に開業ばかりの、京都では久々の新駅「梅小路京都西」駅(妙に長い名前はどうかと思うけどね)をまだ見たことがなかったので、今日の午前中から散歩がてら見に行ってきました。
駅としては、まあできたばかりで綺麗ではあるけどどうということもなく。ただ、東海道本線と山陰本線の短絡貨物線跡(現在では、山陰本線に貨物列車は走っていない)が、駅北側への歩道橋として再利用されていて、ここは廃線跡歩きとして面白かったです。
せっかく来たのだからと梅小路公園の辺りをしばらくうろうろしましたが、今日は手作り市が開催されていて、なかなかの人出でした。水族館や鉄道博物館などが出来て以来、このエリアも段々変化し始めていて、京果会館の中がリノベーションでおしゃれショップゾーンみたいになったりしてました。取り壊しの予定だったということなので、これは良かったです。
微妙に京都駅から距離のあった梅小路に手軽に来れるようになったわけなので、今度はもう少し人の少ない時にまだ散歩に来てみようと思います。
選鉱場、この世の果て ― 2019年04月14日 20時05分00秒
先週の続き。明延と並ぶもう一つの目的地が、神子畑の選鉱場でした。
ここは、明延鉱山から例の1円電車の軌道(明神電車)で運ばれてきた鉱石を処理する施設があった場所なのですが、山の中腹には古代遺跡のような施設跡や鉱石を上げ下ろしするのに使われたインクラインの線路跡が残っています。
神殿のような見た目で有名なのが、濃縮・濾過用の設備だった「ドルシックナー」という装置で、直径30メートルもある巨大なものでした。
こちらも廃墟・廃線系が好きな人に、ぜひお薦めしたい場所です。
なお、こちらはあまり知られていないようですが、明延側にも選鉱場の跡があり、神子畑と同様のインクライン跡も残っていました。
しかし、ここの崩壊っぷりというか荒れ果て方はさらに味わい深く、まさにこの世の果てという言葉がぴったりな風景でした。
明延鉱山見学の際には、鉱山町の風景と合わせて、こちらも見逃さないようにしたいものです。
地底軌道 ― 2019年04月08日 20時52分49秒
明延鉱山その2。
1円電車の後は、実際に地下の坑道を見学に行きました。約一時間ほどかけて、かなり詳しく解説してもらえたのは素晴らしく、竪坑のエレベーターというのも実物を見ることができました。
しかし何と言っても素晴らしいのは、坑道のあらゆる場所に50センチ幅の軌道が張り巡らされている様子で、あちこちに複雑なポイントが見られ、さらには軌道が直交するダイヤモンドクロスっぽいものもありました。
以前、地下のトロッコ軌道が出てくる場面を作中で書いたこともあるのですが、想像していた風景がほぼそのまんま目の前に出てきたので、それにも感動してしまいました。
(竪坑のエレベーター。この素通しのやつが毎分150メートルの速度で地下400メートルへ)
1円電車に乗る ― 2019年04月07日 23時37分33秒
今回の旅行の目的は、昨晩泊まった養父市大屋町大杉の重伝建地区訪問と、明延鉱山&神子畑選鉱場の鉱山系遺構二箇所を訪れることでした。加えて、神子畑で教えてもらった中瀬鉱山にも足を伸ばすことになりました。
生野鉱山とセットで扱われることも多いこの三箇所ですが、生野は二回も見に行っているのに(いずれも竹田城とセットでした)、こちらの方面にまでは来たことがありませんでした。京都からは遠いイメージでしたが、新名神高槻区間や北近畿豊岡道の整備で、ずいぶんアクセスも良くなりました。
今日の目玉の一つが、明延と神子畑を結んでいた明神電車の「1円電車」。
わずか料金1円で乗れる鉄道と、子供の頃に本で読んだりして知っていましたが、残念ながら明延鉱山の閉山とともに廃止されてしまっていました。
その「1円電車」の車両がそのまま動態保存されているということで、わずかな区間ではありますが、月に何回か体験乗車することができるのでした。
実際に見ると、ものすごく小さくて狭く、これに30分も乗るのは大変だった気もしますが、ともかくあの「1円電車」に乗れるということで、非常にテンションが上がりました。このような車両がちゃんと保存されたというのは、嬉しいことです。
料金は1円以上(あとはお志)という扱いでしたが、ちゃんと三人で1円ずつ払って切符を買いました。ただし、「これは別扱い」といいながら募金もしてきましたけどね。
眠り続けたモノレール ― 2018年03月10日 21時14分11秒
今回の姫路行き、最初に向かったのは手柄山公園のモノレール展示館(無料)。
1966年からわずか8年間の営業だったことから、幻のモノレールとも呼ばれる姫路市営モノレールの車両が展示してある施設で、旧手柄山駅の駅舎が使われている。
車両が止まった状態で長年閉鎖されたままになっていたこの駅舎も幻の駅跡として一部で知られていた(時々、報道向けに公開されたりはしていた)のだが、数年前に整備の上公開されることになったようだ。市職員の方とも少し話をしたが、どうやら役所内の一部の人の熱意からスタートして公開に漕ぎ着けたような雰囲気が感じられた。
日本でも最初期のモノレール、その車両と駅が眠り続けていたというのは大変興味深く、メジャーな鉄道博物館よりも面白いくらいである。大喜びで見学したのだったが、つい去年までは途中駅の大将軍駅(マンションの中をモノレールが通るという、すごい駅舎で有名だった)も残っていたことを思うと、少し残念ではある。
今回驚いたのは、このモノレール何と日本海側の舞鶴まで延伸するという超壮大な構想があったらしいことで、そのうちわずか1.8キロが開通しただけで廃止になったわけである。
車両と並んで面白かったのが、当時の駅広告が保存されていたことで、昔の写真にも写っている看板がいくつかそのまま残されていた。修復はされているようだったが、こちらも何とも味わい深い。というか、ちょっと絵柄が怖かったですが。
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