3.11 -六年後-2017年03月11日 21時38分49秒



去年、一昨年と初夏の東北旅行で、どちらも仙台空港の利用となり、仕事で先に現地入りしていた同行メンバーとここで待ち合わせして合流するというパターンになった。
二回とも、待ち合わせ場所として空港内にある名取市の観光案内所を利用させてもらい、待っている間に目的地のパンフレット類一式をいただいたりした。この案内所の中には、空港周辺における大震災の被害を展示したパネルや写真集も置かれていて、やはりじっくりと見てしまう。

大きな被害が出たことで知られるようになった閖上地区は、実は仙台空港のすぐ北側なので、すぐそばを何度か通っている。しかし残念ながら地区内にまでは行ったことがなく、一度行ってみないとと思っている。
震災後に、仕事やボランティアなどで現地に支援に入った人は多いと思うが、やはり自分が最初に行った現地にはみんな思い入れがあるのではないか。僕の場合は仙台だったので、宮城県の状況というのはずっと気になっている。あれから、6年。

野島断層保存館2017年01月17日 18時52分46秒






先月、淡路島を訪れた際に、野島断層保存館というところに立ち寄った。
ここは、阪神・淡路大震災の際にずれた断層が保存されて展示されているという施設で、庭の裏手を断層が走っているというお宅もそのまま残り、震災直後の様子が再現されている(非常に頑丈な造りで倒壊を免れたが、家の中があちこち歪んで、部屋にいるだけで酔いそうだった)。淡路島には何度も行っているのだが、普段あまり通らない北西側なので、訪れたのは今回が初めて。

各種展示物を見ていると、あっという間に記憶がよみがえり、声を失ってしまうほどであった。「飼い主を探すのか、被災地に集まってくる犬や猫」という、猫が悲壮な顔で鳴いている写真が、特に印象に残った。当時は、被災動物のことは今ほどはクローズアップされていなかった気がする。

ここには地震を体験するシミュレーターというのがあって、東日本と阪神・淡路の実際の揺れを再現したものを、ダイニングを模した場所で体験することができる(揺れ始める前にはテレビに速報も出る)。
最初に東日本、次に阪神・淡路の順番なのだが、特に揺れの時間が短い阪神・淡路の揺れはすさまじく、まともに椅子に座っていられないほどで、シミュレーターとわかっていても恐ろしかった。京都での揺れとは桁違いで、あれが直下型地震というものなのだろう。また機会を見つけて行ってみようと思う。

3.11 -五年後-2016年03月11日 21時11分52秒




そう言えば、あの日も金曜日だった。明くる土曜日は朝から通院だったが、待合室でイヤホンつけてスマホでずっとワンセグを見ていたのを覚えている。

あれ以来、東北が近くなった感じはしている。
それまでは、福島の大内宿とか会津若松に行ったことがある程度だったけど、震災直後のゴールデンウィークには今は亡き特急日本海で角館・盛岡・弘前・黒石と観光旅行をしたし(関東からの観光客が激減で大変だという話だったので、そんならこっちから行こうじゃないかと)、その翌月には仙台に一週間、支援の仕事で滞在した。
一昨年は秋田、去年はまた宮城にも行ったから、それ以前とは打って変わって東北に行くようになったことになる。近く感じるのも当然かも知れない。

結局、いわゆる被災地域には震災直後に行っただけなので、その後の姿は見られていないけど、普通に観光地に出掛けて、関西から遠い東北地方を身近に感じるだけでも意味はあるだろうと思う。神戸のように、先はまだ長いだろうから。

3.11 -四年後-2015年03月11日 19時19分07秒



今日であれから四年。
復興への取り組みは続いているようですが、被災地が見違えるようににぎやかになって、とはやはり行きません。現地の人的パワーもまだまだ不足しているようで、その点では神戸という力のある町が中心となって復興を行った阪神のときよりも厳しい状況かもしれません。
しかしとにかく地道な取り組みが続いていくことが大事なのは、間違いないでしょう。風化して、忘れ去られてしまうようなことだけはないようにしなければなりません。

去年は一応東北旅行はできましたが、秋田県内だけだったので、今度は他の県にも行ってみたいものです。
(写真は2011年6月の松島)

20年2015年01月17日 20時43分22秒



今日で、あれから二十年が経ちました。

何度か書いてる気もしますが、あの日は就職前で完全昼夜逆転生活だったので、そろそろ寝ようかとしている時に、いきなり地響きと共に大きな揺れがやってきたのでした。必死で本棚を押さえたのでしたが、あれは危ないのでやっちゃいけないことですね。

関西で大きな地震が起こるというのは全く頭に無かったので、てっきり東海地震だと思い込みました。記録を残さないといかんと思って、揺れがおさまるなりNHKをつけてビデオの録画ボタンを押したのでしたが、第一報は神戸で震度6(後に震度7に訂正)というものでした。

生まれて二十数年、身近であんな大災害が起きたのは初めてのことで、あれから自然災害というものに対する感覚は全く変わりました。関西に住んでいた多くの人がそうだっただろうし、今では関東以北の人もそうでしょう。残念ながら、同じような自然災害はまた必ず起きるだろうと思いますが、もし自分が被災することがあったとしても、神戸の人たちのことを思い出しながら乗り切って行きたいと思います。

(写真は、初代機デジカメで撮影した1999年12月の旧居留地。この写真はまちなみ街道のトップページにも使っていたことがありますね)

3.11 -三年後-2014年03月11日 20時29分06秒



あれから三年が経ちました。
復興は、必ずしも順調には見えません。そもそもどう復興したらよいのか、途方に暮れる中で何とかしていこうとしているようにも思えます。元の場所に元のように町を作ればいい、というわけにもいかないのでしょうから。

少し時間が経過したことで、この東日本大震災と、近いところで起きた阪神大震災を、過去二十年のうちに起きた二つの大災害として並列にとらえるような見方が、自分の中で強まってきたことを感じています。どこで「次」が起こるかも分かりません。今はただ余力のあるものが、より困っている方たちを助ける、それでいいのではないかと思います。

今年は東北へ行く機会がありそうです。ただの観光にはなると思いますが、それでも行ってきたいと思います。

3.11 -二年後-2013年03月11日 21時02分14秒



あれから二年。まだ、二年だ。現地の復興は進んでいない。がれきの処理さえまだまだなのだ。先は長い。阪神・淡路の被災地でもそうだが十年、二十年単位で取り組んでいかなければならない。

思えば震災の一月半後に思い切って東北旅行に出かけ、そのまた一月後に被災地派遣で仙台に行って、それ以来東北へは行っていない。観光へのダメージも未だ回復していないようで、これではいかん。今年は何とかして東北へ行こう。
寝台特急日本海がなくなったのが、非常に残念だ。あの列車のおかげで、朝七時に角館に着けたのに。

3.11―1年後2012年03月11日 20時51分08秒



あの日から、早くも1年の月日が流れた。
しかし今でもあの時の映像を見ると、あの日の衝撃がありありとよみがえってくる。この記憶は、阪神大震災の記憶と共に、薄れることのないままずっと残るだろう。

予想していたとおり、復興はまだまだ進んでいない。この国自体が、長く続くだろう衰退の時代に入ろうとしている今、我々は被災地の方々と共に、まだまだ様々な苦難に堪え忍んでいかなければならないだろう。 ひたすら続く地道な努力の向こう側にしか、明日は訪れない。一足飛びに全てが解決する、などという幻想に逃げてはならないのだ。

胸の傷が痛んでも2012年03月09日 22時19分06秒


アンパンマンのマーチ」、この歌が実は名曲であることを改めて気付かされたのは、バニラダヌキさんの「ゆうこちゃんと星ねこさん」第一巻を初めて読んだ時のことだったが、震災の被災地の方々にとっても、ラジオで繰り返し流されたこの歌は随分励ましになったようだ。
震災後に東北を旅行した時にも、電車の中でこの歌を何度も聴いたのを覚えている。
間もなく、一年。

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび 
たとえ 胸の傷が いたんでも

荒浜にて、オート110で2011年07月08日 20時26分15秒



仙台派遣の際に撮った110フィルムの現像が、ようやく上がってきた。写真屋では「ポケットフィルムですか!?」と驚かれ、さらには現像に二週間待ちとなったわけだが、この仕上がりを待つ間というのも悪くはない。

写真は、また仙台市荒浜地区の被災地だが、新しいデジカメのシャープで鮮明な写りとは全く異なる、粒状感を残した110フィルムの写りには、また別種のリアルな手触りが感じられる気がする。
少なくとも、これは現地で光学的に写し取った風景を化学的に転写した画像であって、電気信号として記録されたデジカメの写真とは全く違うものだ。この写真が手の中にあるということは、僕がその地に立ったという一つの証明であるようにも思えるのだ。

間もなくカメラとしての役割を終えようとしているオート110を、このような場面で活躍させることができて良かったなと思う。