1年後の震度62019年06月19日 19時05分58秒





昨日6月18日は、最大震度6弱を記録した去年の大阪北部地震からちょうど一年だったわけですが(うちのマンションも一部被害が出たらしい)、夜になって今度は山形・新潟を中心に最大震度6強の地震が発生して、さすがに驚いた。

震源を見ると、前回の山形旅行で泊まった温海(あつみ)温泉のすぐそばのようで、大丈夫だろうかと心配していたら、その時泊まった萬国屋という旅館にやはり被害がでているようだ。
ここは高級感があって設備も充実、料理もおいしくて、まるで庭園のような広大な露天風呂にも入れるという素晴らしい旅館で、しかもなぜか高級シティホテル並みのリーズナブルな価格で泊まることができたという、旅行メンバー内では史上ナンバー1の伝説の旅館となっている場所。

建物の被害自体は致命的なものではないようだが、配管の破損で温泉のお湯が出ないというのが気になる。機会があればまた行きたいと思っているので、何とか無事復旧して欲しいものである。

8年後2019年03月11日 20時44分13秒





2011年3月11日から、これで8年。
今朝の日経新聞には、生活インフラ復興完了が秒読みとあって、それはそれで素晴らしいことだとは思うけれど、それで完了とされてはたまらないわけで、まずは土台が出来つつあると考えるべきなのでしょう。
今日は色んなメディアで特集が組まれていましたが、今読んでもあの時の気持ちがすぐによみがえってきます。ただ、悲しい思いと同じくらいに、あの春に旅行や仕事で行った東北地方での美しい風景や、楽しい思い出などもよみがえります。やはりあの時、すぐに決断して行っておいて本当に良かったです。

昨年は、うちからすぐ近くの枚方で震度6弱の地震もありました。引き続き災害への準備は怠らないようにしなければ。

とりあえず平常運転ですが2018年06月19日 20時41分18秒



すでに全国でも報じられている通り、昨日の朝に大阪北部で震度6弱の地震が起きました。お亡くなりになられた方の、ご冥福をお祈りいたします。

うちの辺りは5強だったのですが、地震の発生時はちょうど通勤途中で、地下鉄の四条駅に乗っていた列車が停車していたところ。乗客が乗り込んできた途端にえらい揺れるなと思ってたら強い横揺れに変わったので、これは地震だと思ったら、緊急速報が遅れて一斉に鳴り響きました(近すぎて間に合わなかったんですね)。震源が大阪だというので、結構な震度になってるんじゃないかと思ったら、6弱だったわけです。
京都の地下鉄はのろのろ運転で駅に長時間停まったりしながらもそのまま運行してくれたので、助かりました。

家の中が少し心配でしたが、帰ってみたら特にデジカメが棚から落下してたりもせず、洗剤やらの容器が転がってる程度で被害はありませんでした。
震源とされる枚方・高槻・茨木の一帯は京都市と大阪市のちょうど中間で、京都市南部のうちから見れば隣の隣くらいの感覚。実際、京阪特急に乗れば枚方なんて20分かかりません。そういう至近で震度6弱というのはちょっとしたショックで、今までも災害は他人事じゃないと繰り返し言っていますが、ほんとに他人事じゃないわけです。

慶長伏見地震以来400年ぶりに動いた断層とか言う話も、その慶長伏見の起きた場所に住んでるこちらからみるとどうも薄気味悪く。昨日の夜は余震も何度もあった(震度4の奴が大きかった)ところなので、しばらくは警戒を続けなきゃなりません。明日にかけては大雨という情報もありますし。

東北への旅/七年目2018年03月11日 16時02分30秒



2011年まで、東北地方にはほとんど行ったことが無かったのだが(2008年に大内宿中心で福島に一度行っただけ)、震災直後のGWに秋田・岩手・青森に出かけたのを皮切りに、2011年6月に仙台、3年空いて2014年に再び秋田、2015年に宮城、2016年に山形と一応は全ての県に行くことができた。
その間に熊本でも地震があって、去年は熊本旅行には出掛けたものの、東北旅行は実施せずに終わった。今年はまだ未定だが、もし行くとしたら金ケ崎の重伝建地区をまだ見ていない岩手になるだろうか。

どの旅行も非常に楽しかったのだが、特に思い入れがあるのは、約一週間滞在することになった仙台だろうと思う。仕事だったので観光はほとんどできなかったのだが、ごく短期間でもその街で暮らしたという感覚があった。アエルの書店で本を探したこととか、そんな何でもないことが強く思い出に残っている。あの状況での、あの経験は二度とできないだろう。二度とあってはならないとも言えるのだが。
あれから、七年。

3.11 -六年後-2017年03月11日 21時38分49秒



去年、一昨年と初夏の東北旅行で、どちらも仙台空港の利用となり、仕事で先に現地入りしていた同行メンバーとここで待ち合わせして合流するというパターンになった。
二回とも、待ち合わせ場所として空港内にある名取市の観光案内所を利用させてもらい、待っている間に目的地のパンフレット類一式をいただいたりした。この案内所の中には、空港周辺における大震災の被害を展示したパネルや写真集も置かれていて、やはりじっくりと見てしまう。

大きな被害が出たことで知られるようになった閖上地区は、実は仙台空港のすぐ北側なので、すぐそばを何度か通っている。しかし残念ながら地区内にまでは行ったことがなく、一度行ってみないとと思っている。
震災後に、仕事やボランティアなどで現地に支援に入った人は多いと思うが、やはり自分が最初に行った現地にはみんな思い入れがあるのではないか。僕の場合は仙台だったので、宮城県の状況というのはずっと気になっている。あれから、6年。

野島断層保存館2017年01月17日 18時52分46秒






先月、淡路島を訪れた際に、野島断層保存館というところに立ち寄った。
ここは、阪神・淡路大震災の際にずれた断層が保存されて展示されているという施設で、庭の裏手を断層が走っているというお宅もそのまま残り、震災直後の様子が再現されている(非常に頑丈な造りで倒壊を免れたが、家の中があちこち歪んで、部屋にいるだけで酔いそうだった)。淡路島には何度も行っているのだが、普段あまり通らない北西側なので、訪れたのは今回が初めて。

各種展示物を見ていると、あっという間に記憶がよみがえり、声を失ってしまうほどであった。「飼い主を探すのか、被災地に集まってくる犬や猫」という、猫が悲壮な顔で鳴いている写真が、特に印象に残った。当時は、被災動物のことは今ほどはクローズアップされていなかった気がする。

ここには地震を体験するシミュレーターというのがあって、東日本と阪神・淡路の実際の揺れを再現したものを、ダイニングを模した場所で体験することができる(揺れ始める前にはテレビに速報も出る)。
最初に東日本、次に阪神・淡路の順番なのだが、特に揺れの時間が短い阪神・淡路の揺れはすさまじく、まともに椅子に座っていられないほどで、シミュレーターとわかっていても恐ろしかった。京都での揺れとは桁違いで、あれが直下型地震というものなのだろう。また機会を見つけて行ってみようと思う。

3.11 -五年後-2016年03月11日 21時11分52秒




そう言えば、あの日も金曜日だった。明くる土曜日は朝から通院だったが、待合室でイヤホンつけてスマホでずっとワンセグを見ていたのを覚えている。

あれ以来、東北が近くなった感じはしている。
それまでは、福島の大内宿とか会津若松に行ったことがある程度だったけど、震災直後のゴールデンウィークには今は亡き特急日本海で角館・盛岡・弘前・黒石と観光旅行をしたし(関東からの観光客が激減で大変だという話だったので、そんならこっちから行こうじゃないかと)、その翌月には仙台に一週間、支援の仕事で滞在した。
一昨年は秋田、去年はまた宮城にも行ったから、それ以前とは打って変わって東北に行くようになったことになる。近く感じるのも当然かも知れない。

結局、いわゆる被災地域には震災直後に行っただけなので、その後の姿は見られていないけど、普通に観光地に出掛けて、関西から遠い東北地方を身近に感じるだけでも意味はあるだろうと思う。神戸のように、先はまだ長いだろうから。

3.11 -四年後-2015年03月11日 19時19分07秒



今日であれから四年。
復興への取り組みは続いているようですが、被災地が見違えるようににぎやかになって、とはやはり行きません。現地の人的パワーもまだまだ不足しているようで、その点では神戸という力のある町が中心となって復興を行った阪神のときよりも厳しい状況かもしれません。
しかしとにかく地道な取り組みが続いていくことが大事なのは、間違いないでしょう。風化して、忘れ去られてしまうようなことだけはないようにしなければなりません。

去年は一応東北旅行はできましたが、秋田県内だけだったので、今度は他の県にも行ってみたいものです。
(写真は2011年6月の松島)

20年2015年01月17日 20時43分22秒



今日で、あれから二十年が経ちました。

何度か書いてる気もしますが、あの日は就職前で完全昼夜逆転生活だったので、そろそろ寝ようかとしている時に、いきなり地響きと共に大きな揺れがやってきたのでした。必死で本棚を押さえたのでしたが、あれは危ないのでやっちゃいけないことですね。

関西で大きな地震が起こるというのは全く頭に無かったので、てっきり東海地震だと思い込みました。記録を残さないといかんと思って、揺れがおさまるなりNHKをつけてビデオの録画ボタンを押したのでしたが、第一報は神戸で震度6(後に震度7に訂正)というものでした。

生まれて二十数年、身近であんな大災害が起きたのは初めてのことで、あれから自然災害というものに対する感覚は全く変わりました。関西に住んでいた多くの人がそうだっただろうし、今では関東以北の人もそうでしょう。残念ながら、同じような自然災害はまた必ず起きるだろうと思いますが、もし自分が被災することがあったとしても、神戸の人たちのことを思い出しながら乗り切って行きたいと思います。

(写真は、初代機デジカメで撮影した1999年12月の旧居留地。この写真はまちなみ街道のトップページにも使っていたことがありますね)

3.11 -三年後-2014年03月11日 20時29分06秒



あれから三年が経ちました。
復興は、必ずしも順調には見えません。そもそもどう復興したらよいのか、途方に暮れる中で何とかしていこうとしているようにも思えます。元の場所に元のように町を作ればいい、というわけにもいかないのでしょうから。

少し時間が経過したことで、この東日本大震災と、近いところで起きた阪神大震災を、過去二十年のうちに起きた二つの大災害として並列にとらえるような見方が、自分の中で強まってきたことを感じています。どこで「次」が起こるかも分かりません。今はただ余力のあるものが、より困っている方たちを助ける、それでいいのではないかと思います。

今年は東北へ行く機会がありそうです。ただの観光にはなると思いますが、それでも行ってきたいと思います。