久しぶりの小浜2023年08月20日 16時15分14秒


(小浜西組重伝建地区・三丁町)

 去年に引き続いて、今年の夏も18きっぷであちこち出かけています。
 北海道旅行でかなり散在してしまったし、宿泊費も高騰しているので、今年は日帰りメインにしようと思ってました。
 特に、関西近辺の重伝建地区で長らく訪れていないような場所に行くことにして、まずは福井県の小浜に出かけました。

 JR小浜線が接続している北陸本線の敦賀駅までは、新快速が直通しています。全線高架の湖西線を突っ走って京都から1時間と少し、クロスシートの快適な座席から琵琶湖を眺めたりしていると、あっという間の到着です。
 敦賀からは小浜線の各駅停車に乗り換えるわけですが、接続がわずか3分と良すぎて車内はすでに満員。
 途中駅でもたくさんの学生さんが乗って来ては降りての繰り返しで、結局小浜駅までの1時間少し、全く座ることができませんでした。
 この小浜線、海に近いところを走る割には案外海が見えなくて、途中で三方五湖が少し見える程度。
 でも、のどかな風景がずっと続く車窓はなかなか悪くないので、ドアの近くに立ったまま、ずっと窓の向こうを眺めていました。


 小浜の駅前にはなかなか立派な商店街があるのですが、平日の昼間と言う時間だったせいか、食事のできる店がほとんど開いていませんでした。
 たまたま開いていた台湾料理店でランチを食べましたが、ここは安くておいしくて大変良かったです。小浜も海も、何の関係ない食事にはなりましたが。


 駅前商店街の突き当りには、見覚えのない「まちの駅・旭座」という立派な施設が出来ていました。以前ここには大型商業施設があったのですが、廃業で再開発したようです。
 敷地内には「旧旭座」という明治時代の芝居小屋があって、大型スーパーのあったこの場所に? と不思議に思いましたが、近くの中町から移築したとのことでした。
 残念なのが、「鯖街道の起点」があった昔ながらのアーケード商店街が、再開発で跡形もなくなっていたことで、もうかなり以前に姿を消したようでした。
 好きだったんだけど、あの商店街。


 旧丹後街道の町並みを歩いて、三丁町の茶屋町へ。さすがにここは昔と全く変わりありませんでした。
 平日の午後、観光客が誰もいない古い町並みを、ゆっくりと撮影することができました。

 三丁町を歩いた後、すぐそばにある人魚の浜のビーチに行ってみます。
 当日は、気温が35度にもなる猛暑日でしたが、海からの風は涼しく感じられました。
 海辺の古い町はやっぱりいいなあと思いながら、静かな小浜湾の風景を眺めてから帰りました。


こちらも久しぶりの湯浅2023年08月27日 11時28分00秒



 台風が来るまでの間、毎週連続で18きっぷを使って関西周辺の重伝建地区めぐりをしてました。
 小浜の次、二箇所目は湯浅で、こちらも久しぶり。

 去年の夏以来のJR和歌山駅の駅ビルで「湯浅醤油ラーメン」というのをお昼ご飯に食べてから、まさにその湯浅へと向かう紀勢本線の鈍行に乗り込みます。
 乗った列車は箕島止まりでしたが、ちょうど30分間の待ち時間があったので、箕島の町も少しだけ見て回りました。

 さようやく御坊行きに乗って、湯浅駅に到着。最近駅舎が新しくなった(蔵っぽいデザイン)ということで、以前の古びた駅舎がどうなったか心配でしたが、こちらも保存されてカフェなどが入るスペースになってました。


 実は熊野古道である「道町通り」を歩いて、「立石道標」という立派な石碑の辺りから重伝建地区に入って行きます。
 10年以上ぶりのはずですが、さすがは安定の伝建で、町並みに大きな変化はありません。修景は進んでいましたが。

「大仙掘」や「角長職人蔵」、「甚風呂」(江戸から平成まで続いた銭湯)などの展示施設も一通り見て回りました。あまりの暑さでちょっと日陰に入りたいと言うのもありましたが。

(甚風呂)

 隣接する広川町にも少し町並みが残ってるのですが、なにせ炎天下なのでどうしたものかなと思いつつ、結局は広川まで歩いて往復することになりました。
 ようやく湯浅駅へ戻った時は、もうへとへと。
 列車の待ち時間の間、旧駅舎のカフェスペースでレモネードを飲みながら、ゆっくり涼ませてもらい、ようやく生き返ったのでした。

(広川の町並み)

(帰りの阪和線からの紀ノ川)

鈍行で尾鷲は遠かった、夏の終わり2023年08月30日 17時40分31秒



(ホテルからの眺め、尾鷲市街全体を一望)

18きっぷで関西周辺の重伝建、のうちの1か所としてこちらもしばらく歩いていない三重県亀山市の関宿に行こうかと思っていました。
京都駅からだと、東海道線から草津線で柘植、そこから関西本線ですが、これだとちょっと近すぎて18きっぷがもったいない(往復すればぎりぎり一回分の元は取れる)

そこで、三重県をもっと南下して、どこか海沿いの町で一泊と言うのを検討しました。ところがこれも、海の近くに駅がある場所がなかなかなく、どんどん南へと範囲を広げていったところ、尾鷲が候補に挙がりました。
漁港のすぐ近くに、長めの良さそうなホテルを見つけたのでした。このご時世なので安くはないですが、それでも朝食付きで1万円を切っていました。

松阪からさらに紀勢本線で南へ3時間なので、かなり遠い上に本数も少ないのですが、最悪特急「南紀」も走ってるし、松阪まで戻って来れば近鉄特急で帰るという手もあるので、何とか行けるやろうと思って出かけることに。


松阪まで約2時間、ここで松阪牛カレーと言うのを食べて、快速「みえ」と各停を乗り継いでまた約2時間半。
紀勢本線の多気以南は沿線の風景も良くて天気も晴れ、悪い区間ではないのですが、ひたすらロングシートの各駅停車に乗り続けるのは段々きつくなってきて、かなり疲れてしまいました。
尾鷲は遠いなあ、と実感させられることになり、これがさらに熊野とか新宮とかだと、やはり特急「南紀」に乗らないと厳しいだろうと思いました。



(紀勢本線の車窓)

その遠い尾鷲ですが、前に少し立ち寄ったことはあるものの、ちゃんと滞在するのは初めて。
ホテルは予定通り、町全体を山から海まで見渡せるすばらしい部屋で、夕暮れの漁港を散歩したり、魚料理の店で海鮮丼を食べたりと夏の海辺の雰囲気を満喫できました。
夏の終わりの旅行としては、まさに理想的な行き先でした。





帰り道、ちょっとだけ新型のハイブリッド列車であるHC85系が投入された「南紀」に乗ってみたくて、多気から津の間だけ18切符を捨てて、特定特急料金で「南紀」の自由席に乗りました。
増結で4両編成でしたが席はかなり埋まっていて(幸い、窓際が1席だけあいていた)、人気のほどが分かりました。
エンジンの音が遠くで何となく聞こえる、という静かな車内はなるほど快適でした。今度はまともに「南紀」に乗って、新宮あたりまで行ってみたいものです。

(HC85系の「南紀」)

よみがえるか宇治川花火2023年08月31日 19時01分25秒





50年以上の伝統があった京都府内屈指の花火大会、「宇治川花火大会」が福知山花火事故があった2013年を最後に終了となって、今年で10年。

学生時代以来、友人などと何度も見に行った思い出の花火大会で、なくなってしまったのは非常に淋しく、できれば復活して欲しいなあとずっと思っています。

先日、宇治駐屯地で開催された納涼夏祭りで、初めて花火が上がることになり、わずか数分間と言う話でしたが、いつものメンバーで見に行ってみました。
夏祭りは予想を上回る大盛況で、最寄りの京阪黄檗駅を降りるとすでに大行列。やはり花火を見に来た人が多かった様子。
我々は空いた芝生の広場を見つけて、そこに寝転がって待つことにしました。

打ち上げ前の主催者挨拶でも、やはり「宇治川花火の復活を目指したい」という言葉がありました。
「それではフィナーレです」という懐かしいアナウンスもありましたが、何シリーズにも分かれて打ち上げていた本物の宇治川花火と違い、今回は「フィナーレ」だけなので、これはお客さんへのサービスのようでした。

実際の花火は、本当に数分間だけ。宇治川花火の7000発という規模とは比較にもならないものの、最後には何発かまとめて打ち上げてくれて、それなりの盛り上がりはありました。

思い出補正、というのもあると思いますが、帰途に就く人々は満足げな様子に思えました。
我々は混む最寄り駅を避けて、隣の駅まで歩いて京阪電車に乗りましたが、これも宇治川花火の時と同じで、ちょっと楽しかったのでした。