2025年夏の静岡 ― 2025年08月17日 11時23分48秒



(西倉沢と由比漁港の桜エビそば)

(静岡市街)
数年に一度訪れて、現地在住の大学の後輩と飯を喰ったりしている静岡。
先週の3連休、ちょうど旅行メンバーの某管理人が静岡出張ということで、現地で合流して飲み会を行うことになりました。
町並み系も押さえておこうと思い、金曜夜の集合前に新幹線こだまで静岡直行して(昔なら名鉄や在来線なども駆使するところでしたが、贅沢することにしました)、そこから由比に向かい、今までノーマークだった間の宿・西倉沢を散策。
規模はさほどではないものの、雰囲気の良い町並みが残り、薩埵峠の麓ということで山と海に挟まれたロケーションも良かったです。
翌日は、伊豆に行ったことがないという某管理人とともに西伊豆へ。
去年の北関東もそうでしたが、またしてもお盆前の三連休という最悪の日程なので、大人気と思われる伊東とか下田とかの東伊豆は避けることにしたのでした。
幸い天候はもってくれて、20年ぶりくらいの松崎の町や、ジオパークとなっている堂ヶ島の複雑な地形を味わえる遊歩道をアドベンチャー気分で歩いたりと満喫しました。
面白かったのが松崎の帰りに立ち寄った「富士見」という展望台で、それまで全く姿を見せなかった富士山が雲の彼方にうっすらと出現しました。
これがまるで、松崎を舞台とするつげ義春の作品、「長八の宿」のラストシーンそっくりで、「やァ いつのまに頭を出したかの」というジッさんの名台詞をそのまま口にしたくなりました。

(松崎の町並み)



(堂ヶ島、黄金崎に立ち寄りながら海沿いドライブ)

(うっすらと、姿を見せた富士山)
夜はこちらも20年ぶりの土肥温泉泊でしたが、炎天下を2日間歩き回っては暴飲暴食の繰り返しで胃腸に負担がかかっていたのか、深夜になって腹痛を起こして調子を崩してしまいました。旅行中の体調不良は10年以上ぶり。
幸い、OS-1ゼリーと薬で朝からは持ち直し、最終日の翌日もほぼ予定通りに土肥金山や旧天城隧道、韮山反射炉などを見て回ることができました。
ただ、この日はついに悪天候につかまってしまい、特に三島駅周辺では記録的な集中豪雨(ワイパーをかけても全く前が見えないレベル)に遭遇。
よりによって熱海新富士間の新幹線も止まってしまい、どうなることかと思いましたが、体調不良の関係で念のために少し早めの列車に予約を変えていたのが幸いして、1時間遅れくらいで京都へ戻ることができました。
結果的には普通に楽しめた夏の旅でしたが、ここまで猛暑が当たり前になると、体調管理もさらに工夫が必要になってくるなとは思いました。
OS-1ゼリーがなかったら本格的に脱水になってたかも知れないので、夏場の旅行時は非常用に持ち歩くなどしたほうがいいかも知れないと思いました。

(土肥金山)

(豪雨の旧天城隧道)

(世界遺産、韮山反射炉)
特集・前倒しの夏 ― 2025年06月29日 19時53分37秒
なんと、6月もまだ終わっていないうちに、もう西日本の梅雨が明けてしまいました。
観測史上最速だそうで、まだ梅雨入りから3週間も経っていません。
水不足など、大丈夫なのかと心配になりますね。
そんなことになるとは知らず、先週・先々週と梅雨の合間を狙いうちにして出かけてきました。
というのも、3月で終わりになったはずのバイト先に、事務補助だけでいいからまた来てほしいと呼ばれてしまい、7月から再び出勤することになったので、夏の遠出などを前倒しでやっておくことにしたのでした。
7月・8月が全部仕事というのは正社員最後の地獄の8月以来、4年ぶり。

(東広島市白市)

(東広島市西条・酒蔵通り)
そういうわけで、先々週は広島・山口方面へ、主に町並みの取材に。
まずは東広島市の白市へ。規模はそれほどではないですが、質と密度が高くて重伝建クラスの感動がありました。
続いて、同じ市内の西条酒蔵通り。ここは2度目ですが、前回は偶然イベントにぶつかってしまってまともに撮影できなかったのでした。


(周南市徳山)
夜は山口県に入って徳山駅前泊。
徳山は山陽の主要都市の一つで、前からずっと来てみたかったのですが、ようやく訪れることができました。拠点都市の風格がちゃんと感じられて、満足しました。

(四階楼)

(上関大橋から眺める海峡)
翌日は、柳井から船に乗って上関へ。狭い海峡の両岸に発展した町です。
ここは以前、祝島に渡る途中に船から見てますが、歩いたのは初めて。擬洋風建築の「四階楼」(国重文)が有名です。
陸続きの場所ですが、地形の関係でバスよりも船のほうがずっと早かったです。
続いて広島へ向かう途中で、岩国へ。ここも以前来てますが、錦帯橋の西側の武家町を見てなかったので、ずっと心残りになってたのでした。

(広島駅周辺のビル群)

(高架で駅ビルに乗り入れる路面電車)
2泊目をどうするか決めてなかったのですが、さすがに歩き疲れて考えるのも面倒になったので、普通に広島駅前泊。
ちょうど、新駅ビルを中心とした再開発がほぼ完成したところで、元々大都会の広島ですが、さらにパワーアップ。路面電車の駅ビル乗り入れの試運転などもしていて、実はなかなか良いタイミングでの広島泊となりました。


(音戸の町並み)
最終日は呉駅まで出て、そこからバスで音戸瀬戸の町並みへ。
二つの大きな橋が架かる狭い海峡沿いの町で、前日の上関にも似た立地の町です。
いかにも海辺の町らしい風情がある町並みで、夏に訪れたい町の要素が全部詰まっているようなところでした。夏の前倒しの旅先としては、ここは最高でした。

(こだまレールスター、こちらは往路の指定席)
楽をしてやれと思ってたので、往復ほぼ新幹線でしたが、帰りは広島から新大阪までずっとこだまの自由席で帰ってきました。1時間ほど余計にかかりましたが、あの空いた車内の快適さはグリーン以上ですね。ちょっとだけ安いし。
ただ、安い切符があるらしい広島・東広島間だけが大混雑で、ホームにずらりと人が並んでいたのは焦りました。結局みんな降りていきましたが。



続いて、先週は大阪関西万博を見てきました。
平日ど真ん中で、まだ空いてるだろうと思いましたが、それでもまあまあな人の数で、メインの東ゲートを正面突破したために入場までは1時間はかかりました。
パビリオンは予約が基本なのですが、天候を見て前日に見に行くのを決断したので、予約は一切なし。
人気の先進国などを避けて、自由入場の国だけをめぐるというパターンでやってみましたが、それでも十分に楽しめました。陽が沈むと空いてくる、というのは愛知万博の時と一緒で、一切待ち無しで数か国見学できました。
誤算だったのは、曇り時々雨くらいの予報だったのが大外れで、ほぼ炎天下になってしまったこと。帽子などの日除けの装備をしてなかったので、これは参りました。8月の晴天などに見に行く人は、よほどちゃんと準備をしていかないと倒れますね。
結局、ドローンショーが終わってからまだしばらく滞在して、全部で9時間くらいいましたが、面白かったけどさすがに疲れ果てました。地下鉄がすさまじい増便をしていて、夢洲駅がそんなに混んでなかったのは助かりりましたが。
もしかしたら、いつものメンバーでまた行くかもしれないので、万博についてはまた書くことにします。
というわけで、7月・8月にやるつもりだったことをとりあえず前倒しで済ませました。
夏休みももらえるらしいので、もちろん夏本番にも出かけたりはするつもりです。
GW前半2025 ― 2025年04月30日 20時47分29秒



(京都駅前BBQ)

(旧東海道と徳林庵)

(国道1号と161号バイパスの巨大分岐、上から見るのは初めて)

(江戸時代の牛車道が当時の車石を用いて再現されている閑栖寺)

(追分の道しるべ)

(四宮の桜餅)
今年のゴールデンウイークはかなり飛び飛びで、前半というのがあるのかどうかわからないくらいではあるけれど、とりあえず何かはやろうということになって、3人だけではあるが集まった。
まずは京都駅前のビル屋上でのバーベキューをお昼前からスタート。
これは前からやろうと言っていたもので、場所柄から安くはないけれど、このボリュームの肉ならば文句なし。
周囲のほかのお客は大半がリア充・陽キャの若者集団で、こんな場面に遭遇するのも久しぶり。考えてみれば4月終わりは新入生歓迎のイベントを色々やっている時期だったはずで、大昔の思い出話が色々出た。
(当時はこんな値段は絶対出せなかったが)
バーベキューが終わるともはやすることがなく、しかし解散には早いということで、それならばとこちらも前から要望していた京都・大津間の東海道ウォークをやろうと提案。幸い、見事な好天である。
変なプランのようだが、ウォーキング+バーベキューというのは企画としてはまあまああり得るのではないか、腹ごなしにも良いということで、無理矢理に山科駅へ移動した。
山科駅から4キロ、逢坂山関までの旧街道を歩くことになったが、さすがは東海道なので色々見るものはあるし、四宮駅前の地元の和菓子屋さんで桜餅を買って食べたり、京都と大津の市境が複雑に入り組んだ様子を観察したりと面白かった。
(一部では)有名な大津市追分の、大津・京・伏見への三街道の分岐点に立つ石碑なども見ることができた。
いつものメンバーらしい、その場の思いつきによる企画ではあったが、面白かったのでヨシということになった。ひたすら登りでちょっと疲れたが。
ZV-1を投入したこと ― 2025年04月20日 21時26分09秒

もう年度も変わったというのに今さら過ぎるところではあるが、昨年の年末に新たなデジカメとして、ソニーの「ZV-1」というのを購入した。
メイン機であるRX-100M6の出動頻度が高すぎて、こんなに負荷をかけ続けたらもたないのではないかとずっと不安を感じていたのだった。
もし今M6が壊れて買い替えるとしたら、後継のM7というのになるのだが、今やこれは20万円もする。M6買った当時は12万円だったのだ。
色々検討した結果、M6ほどの望遠は効かないが、その代わりにレンズが明るいM5Aというのを買おうと決断した。ところが、そのM5Aも突然販売終了となってしまい、こちらも断念。
要するには、高級コンデジという製品はもうジャンルごと消滅しつつあるのである。一部のマニアの需要はあるから、中古価格だけはどんどん上がっていて、もはや手が出ない。
しかし実は抜け道があって、いわゆるデジカメではなくてVlog用の動画撮影カメラであるソニーのZV-1というのがあって、これの中身がほぼRX-100M5Aなのである。
ファインダーがなかったり、PSMAの切り替えダイヤルが無いという問題があるとはいえ、撮影機能もほとんど同じである。
動画用ということで、RX-100に比べるとマニアがあまり関心を示さないからか、値段もまだしも安い(79,000円だった)
そういうわけで、デジカメではないデジカメではあるが、ZV-1の購入に至ったのだった。
12月の明石の撮影から使い始めて、色々撮影して試しているが、使用感は良好で要するにはRX-100である(外見も一般の人には見分けつかないと思う)
これで逆に、主力のRX-100M6を安心して使えることになったのだった。


水路の桜2025 ― 2025年04月08日 20時44分18秒





昨年はあまり撮影できなかった、いつもの水路の桜。今年はちゃんと鑑賞して、撮影もしてきました。
ほぼ満開と恒例のさくらまつりが重なって大変なにぎわいでしたが、お祭りの片づけが始まるとインバウンド観光客のみなさんも次第にいなくなり、例年通りゆっくり眺めることができました。
毎回新しい機材で撮影することが多く、今回も昨年末に新たに買ったコンデジ(ソニーZV-1)を持っていこうかとも思いましたが、こういう時こそうちの旗艦を持って行かないとと思ってD7500を使用。
お祭りが終わる時間になると、同じように一眼を持ったガチ勢が目立つようになるのですが、おそらくみなさんフルサイズのミラーレス機のようで、APSのレフ機なんてのを使っている人は少なそうでした。
最近は、こういう写真は「まちなみ街道」の旧ツイッター(X)で投稿するのが主力になり、まあまあたくさんのいいねをいただいたりもします。
ありがたいことですが、週に何度かブログを書く程度だった昔のインターネットを懐かしく思うことも多いですね。
退職から3年、再びつながる人たち ― 2025年04月01日 20時39分50秒

前の会社を早期退職してから、昨日で3年が経過しました。
とは言っても、結局は退職の1年後には再び前の会社でバイトを始めて、何回かのブランクを挟みつつも、この2年間は結局なんだかんだで働くをすることにはなったのでしたが。
同じ仕事と言っても、いつでも辞められるバイトとして働くのはけた違いに楽で、仕事のいわば面白い(=マニアックな)部分にアドバイスするのがやりがいという感じになりました。
もちろん給料もはるかに安いですが、そこはまあヨシということで。
年度終わりの昨日限りで、長くかかわってきた部門が一部整理されるということで、今のアルバイトもここでいったん終わりということになりました。
たまたま長くかかわってこられた社員さんが退職するということで、こちらもおまけで花束をいただくことができました。
前回の退職の時ももらいましたが、あの時はとにかく辞められるという解放感が先行したのに比べて、今回は素直に名残を惜しむことができました。
第2の退職、という感じもして、仕事に戻った2年前の春の空気を思い出したりもします。
……まあ、またすぐ呼ぶよという話もあるので、あの花束は何だったのかということになるかも知れませんが。
部門の整理に伴って、本社時代の知り合いが何人か、逆にこちらの業務に戻ってきたりもしています(みなさん責任のある立場に出世されましたが)
退職以降、当時のメンバーとの付き合いは全くなくなってたのですが、久しぶりにメールをもらったりもしてるので、また人間関係が復活したりするのかも知れません。
学生時代以来のいつものメンバーのほうも、子育てが終わった後輩などがそろそろ復帰してくれそうな感じもしていて、こちらもまだまだ続いていきそうです。
正直、この年代になると長年の友人グループというのは非常に大事で、これはお金などには代えられません。他のみんなもそこは実感しているようです。
ここまで頑張ってグループをつないできて良かったと心から思いますね。
(写真は30日の同志社大学・今出川キャンパス)
明石市のクリスマス(2024) ― 2024年12月22日 20時12分34秒
神戸市に隣接する人口約30万の町で、江戸時代は明石城の城下町でした。
ベッドタウン的性格が強いので、30万都市らしい規模は感じられないのですが、近年になって駅前の再開発事業が完成し、国道2号線沿いにタワーマンションを含む大規模なビルが立ち並ぶようになりました。
駅前周辺を歩いても、人の数などにやはり勢いが感じられて、発展している様子がうかがえました。鮮魚店や居酒屋などが集まる「魚の棚」などの昔ながらの商店街も観光客に人気で、衰えた気配はありません。
ただ、駅前の商業施設以外ではイルミネーションなども実施されておらず(昔はささやかながら飾り付けがされてましたね)、クリスマスの雰囲気が感じられないのが少し残念でした。
八尾市のクリスマス ― 2024年12月20日 21時48分52秒
大阪府の中央部にある八尾市は、中河内地域の中心都市の一つで、河内音頭発祥の地としても知られます。大阪市の近郊都市として発展し、人口は約25万人で中核市に指定されています。
JRの大和路線と近鉄大阪線が通っていますが、町の中心となっているのは近鉄の八尾駅です。駅前にはイトーヨーカドーを中心とした大規模なモールがあり、数年前までは西武百貨店もあった(現在はこちらもリニューアルされてショッピングセンターとなっている)など、かなりの発展ぶりが見られます。
本来の町の中心は、駅の少し西側にある本町エリアで、元々は大信寺(八尾御坊)を中心とした寺内町でした。現在でも「ファミリーロード」という昭和レトロ感満載のアーケード商店街があって、昔ながらの商業地の雰囲気が残っています。
駅前の広場や商店街近くの公園、近鉄の高架下の商店街などではイルミネーションが実施されていて、クリスマスの雰囲気が感じられました。
(まちなみ街道別館「地方都市のクリスマス」にも、昨年の堺市と桑名市の風景を掲載しました)
冬が来る前に島へ ― 2024年11月24日 20時16分35秒

(金刀比羅宮参道)
平日に旅行へ行ける期間ともしばらくお別れになるので、寒くなる前にもう一度どこかに出かけようと思って色々考えてたのですが、そういえばずいぶん長い間四国に行ってないということで、手軽な香川の琴平・丸亀へ。
どうせ18きっぷはもう使えないので、この際ちょいと贅沢をと思って、山陽新幹線プラス特急南風(ただしいずれも自由席)という課金コース。
ちなみに、瀬戸大橋で四国に渡るのに有料特急に乗ったのは初めてだと思います(ほぼいつもマリンライナー。快速ムーンライト高知にも乗ったことありますが)


初めての特急南風は非常に快適で、岡山から琴平まではあっという間でした。
ここへ来るのは何年振りなのかもはや定かではなく、ほとんど初めて来た感覚で町を歩きました。
金刀比羅宮の上まで上がるつもりはなかったんですが、参道の町並み撮ってるうちに、ここまで来たんだからと意地になってきて、結局本宮までの785段を登り切りました。
途中でやはりというか讃岐うどんを食べたりして、なんだかんだでかなり長時間の滞在になりました。


(金刀比羅宮本宮)
夜は、割と近くの丸亀泊。香川第二の人口を誇る城下町で、立派なアーケード商店街がよさげな雰囲気だったのですが、店が一斉に定休日だったのが少し残念でした。
それでも、伝統のある地方都市の雰囲気は十分味わえて楽しかったです。


(ホテルから眺める、丸亀市中心部)
翌日は、メイン目的地の塩飽本島へ。
重伝建地区の笠島集落があることで知られる島ですが、前回旅行グループで訪れてから、21年ぶり。
思えば、重伝建地区の再訪問はほとんど、「前回は友人たちと来たのに今回は一人」というパターンばかりで淋しいものがありますが、グループがまだ続行中なのが幸いではあります。
(再訪問だと、なかなか提案が通りにくいのです)


(笠島重伝建地区)
信じがたいことに、船に乗ったのもほぼ5年ぶり。あんなによく離島に出かけてたのにと、コロナ以降の空白の重みが改めて感じられます。
幸いに快晴で気温も暖かく、存分に島の町並みを歩き回ることができました。
帰りの船に乗る前に、現代アートの展示があるビーチで一息。大瀧師匠の曲を聴きながら、次にこうしてさわやかな風に吹かれつつ海を眺めるのはいつになるだろうな、と感慨にふけりました。
そろそろ、沖縄とかにも行きたいところですが。

気付けば25年 ― 2024年09月23日 21時52分56秒

1999年の9月23日に開設した「まちなみ街道」、気づけば今日で25年になりました。
こういう形式のサイトというものは、とっくの昔に時代から取り残されていて、日々流れ去っていくSNS的なものが完全に主流にはなっていますが、幸い各種検索からの来訪があるのでアクセス数は今でもまあまあ保たれているのがありがたいところです。
全面リニューアルの検討もしていますが、その辺は新サイトのほうが受け持ってくれている感じもあるので、まだしばらくはネットの黎明期みたいな旧態依然とした形で続けていくことになるかと思います。
(写真は1999年9月25日の奈良県大宇陀の町並み。事情は覚えてませんが、サイト始めたんだから取材しないと、と思ったのかも知れません)
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