夏の島へ2011年07月15日 20時38分21秒


明日から、長崎離島企画に出発です。天気は保ちそうかな。









(薬師丸ひろ子,「探偵物語」)

青空に追いついて2011年07月18日 23時17分43秒


旅行から帰ってきました。超大型という台風が迫る中で出かけてきた九州でしたが、二日目までは快晴で逃げ切り、危ぶんでいた軍艦島上陸も果たせたし、的山大島の重伝建地区もゆっくり見られました。最終日は池島への船が欠航となってしまい、炭鉱見学は駄目だったのですが、佐世保周辺の旧軍関連施設を色々見て回りました。中でも、前から見たかった針尾無線塔はかなりの迫力でした。

写真は、帰りの新幹線から見た博多の空。何だかものすごいことになってました。明日からはこちらも大荒れになるのかも知れません。

島時間2011年07月19日 20時15分54秒




旅行二日目に訪れた、的山(あずち)大島。重伝建地区に選定されている神浦地区がある島で、実に静かな離島だ。
町並みをゆっくりと見て歩くと、もうすることは何も無い。喫茶店はないし、コンビニなどもちろんない。唯一のスーパーであるAコープは、今日は休みのようだ。せいぜい、数少ない自販機でジュースを買う程度。
そして船が来るまでの一時間、ひたすら日陰のベンチで時間が流れるのをぼーっと待ち続ける。これが、島の醍醐味なのだ。

そして、軍艦島2011年07月22日 20時35分18秒







子供の時からずっと興味のあったあの軍艦島、今回ついに訪れることが出来ました。台風の接近で危ぶんでいた上陸も難なく果たすことが出来て、これ以上の満足はありません。天気が良すぎるくらいで、上陸中はものすごく暑かったですが(何せ陽を遮る物が何もなく、人工の地面はコンクリートで固められているので)、そんなことどうでも良くなるくらいに夢中になりました。

かつて五千人もの人間が暮らしたその海上都市が、無人になった今も当時の姿をとどめているというそのものすごさは胸に迫る物があり、船から全景を眺めつつ目頭が熱くなりました。これは何としてでも世界遺産にする価値があると思います。

昔、軍艦島をモデルに短編を書いたことがあります。今の僕から見ると、どうにもならない出来ではあるのですが、あれを何とか形にしたいという気持ちはずっとあり、今回はそのための取材という意図もありました。現地を実際に目にして、いつか必ず書き上げようという気持ちが固まりました。モチベーションという面から見ても、非常に有意義な訪問でした。

旅は続く2011年07月23日 21時27分43秒


まちなみ街道の町並み写真館に、「名張」を追加。何とか新規取材でストックを補充しながら、更新は続きます。



(小沢健二,「ぼくらが旅に出る理由」,「LIFE」M-7) 

他山の石2011年07月24日 20時20分03秒


「あれはヤバイ」の大合唱状態だった中国の「新幹線」が、ついにというかやはりというべきか大事故を起こしてしまった。
例によって日本のマスコミの情報が遅いので、ちらっとのぞいてみた2ちゃんねる辺りでは祭になっていて(現地の画像もすでに大量に上がっていた)、死者が多数出ている事故に対して極めて不適切な態度だと言わざるを得ないものの、新幹線技術を巡るこのところの中国の横暴ぶりには、特に反中でなくても腸が煮えくりかえる思いをしていた人が大勢いたはずで、「それ見たことか」と言いたくなる気持ちまでは分からないこともない。

日本の新幹線の技術は、素晴らしいものがある。最高速のわずかな差などどうでもいいが、とにかく時速三百キロにも達する速度の列車を数分置きで走らせているというのは、ヨーロッパ辺りの高速鉄道とは全く桁が違う(有名なTGVなど、本数はごく少ない)。それだけに海外ではオーバースペックなくらいで、輸出向きではないだろう。国土の条件が近い台湾に輸出したのは、あれは良かったと思うが。

しかし、五十年近い無事故が続いてきたのは、その技術を運用する人間の努力がかなり大きいはずだ。中国の事故は決して人ごとではないと思って、鉄道各社には今後とも気を引き締めて運転を続けて欲しいものだと思う。飛行機に比べて不安感の全く無い新幹線は、本当にありがたいのだ。
あと、目先の利益を求めて中国ビジネスでもうけようとして国産技術を渡すのは、もう絶対にやめて欲しい。ツケが百倍になって帰ってくるよ。

さようなら、小松先生2011年07月28日 19時59分49秒


ついに、とうとう、小松左京さんがお亡くなりになった。言うまでもなく、大阪が生み出した巨大な知性であり、日本の本格SFにおいては結局誰一人、この人を超えることができなかった。

僕が最初に読んだ小松作品は、小学生の時に読んだ「青い宇宙の冒険」だった。実家には元々、父親が買った小松作品が大量にそろっていたということもあって、結局ほとんどの作品を読むことになる。もちろん、最も尊敬する作家の一人である。

残念なのが、「虚無回廊」が未完のまま遺作となってしまったこと。あの壮大な作品がどう展開するか、ぜひ読んでみたかった。遺稿の中から完結編が発見されて、というようなことを少し期待してしまう。

とりとめのない文章になった。
今の気持ちを言葉で言い表すことは、難しい。

和モダンの京都2011年07月30日 23時25分05秒


数年前のいわゆる新景観政策スタート以来、少しずつ変化してきた京都の町だが、この頃ではついにはっきりとその変化が見て取れるようになった。
都心部では派手な色使いの広告などは姿を消し、店の看板なども電球色系の暖かい色使いのものや、間接照明を用いたものがほとんどになってきたのだ。
写真は京都の繁華街の中心部たる四条河原町の交差点だが、町ごと和モダンという状態に近づいてきているのが分かる。

家屋の建て替えに制限がかかるなど、私権の制限を伴うことが広報されていたにも関わらず、京都新聞の世論調査で何と九割以上の市民が支持したこの新景観政策。この面における、京都市民の意識の高さには驚かされたものである。
反対派の財界人だったかが、「ネオンが無くなって活気がなくなれば、町が若者に見放される」などと意味不明のことを口走っていたが、道頓堀くらいの名所は別格として、どこの世界にネオンを見に集まってくる若者がいるのか。meetsなんかの情報誌などを見てると、町家カフェでまったりスイーツ喰いたい、というのが若い人のメインストリームだろうから、町全体が和モダンというほうがずっと喜ばれるはずである。

下の写真は、わずか数年前の同じ四条河原町。このネオンはどれももうありません。
まあ、僕なんかはこういう典型的な地方都市的風景も好きなのだけど、電柱・電線問題同様、そう言う町は京都以外にもたくさんあるわけで、京都くらいは景観にこだわりがあってもいいじゃないかと思う。