ICOMOSに感謝2015年05月04日 20時51分09秒



つい先ほど、軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産への登録を勧告されたというニュースが入ってきた。何とか保存してほしいけど、世界遺産は厳しいんじゃないかと思っていたので、これは嬉しい知らせである。まだ最終的に登録されるかどうかは分からないが、可能性が一気に高まったのは間違いない。

実はこのところ、次作を書く関係で軍艦島関連の本を持ち歩いていて、今日も夕方に資料を読みながら文章を打っていたばかりだった。数年前にツアーで上陸したのも、これを書くための取材みたいなものだったくらいで、実際に手を付けたら途端にこういう知らせが入るというのも何かの縁のように感じる。
もっとも、今の実力ではまだ満足の行く出来上がりになる可能性は低そう。まあ、ライフワークみたいなものだろうと思っている。

はならぁと2014@生駒宝山寺参道2014年11月19日 22時40分34秒



奈良県内の各地を舞台に、恒例となった「町家の芸術祭 はならぁと」が開催されている。
今年もどこか一箇所は見に行こうと思っていたのだが、生駒山の宝山寺参道が面白そうだったので、この前の日曜日に出掛けて来た。
生駒のケーブルに乗るのも久しぶりで、参道の雰囲気も古い町並みというほどではないものの風情があり、ここに来ただけでも十分面白かったのだが、すごかったのがメイン会場である「旧たき万旅館」。
増築に増築を重ねたとかで、立体迷路のようになっているその旅館の廃墟感にマッチするように現代アートが展示されている様子は、正直なところまるで肝試し。昼間だからまだいいのだが、ひと気のない旅館跡の中を歩き回るのは(たまたまかも知れないが、人が少なかった)、結構怖かった。

作家さんたちの意図はわからないが、絶対怖がらせようとしてるとしか思えなかったんだけどなあ。ともかく、ものすごく面白かった。






鉄道を失った町2014年10月17日 21時43分07秒

(旧恋路駅跡)

能登半島には「のと鉄道」という第三セクター鉄道があって、今でも穴水までの路線が運行されているが、つい十年ほど前まではその穴水から半島の先端近い蛸島までの路線があり、さらにその数年前までは輪島までの路線もあったのだが、残念ながらどちらも廃止されてしまった。

地元の人たちはよほど無念だったのだろう。輪島や宇出津と言った主要な町の駅跡には、かつて鉄道があったことを伝える立派なモニュメントが作られていた。地名も今でも「○○駅前」のままである。恋路駅のように、線路もホームもそのままに足漕ぎ式トロッコの駅として利用されている駅もあった。
輪島なんか相当有名な観光地だし、間もなく開通する北陸新幹線がもし十年早く金沢まで来ていれば、鉄道も生き残ることが出来たのではなかろうか。
観光で訪れただけの我々も、何だか無念な気持ちになったのだった。



(旧輪島駅跡)


(旧宇出駅跡)

湖畔の神秘空間2014年01月12日 12時15分07秒





昨日はいつものメンバーで、びわ湖のほとりにある某巨大ショッピングモールへ行ってきました。
と言っても、普通のショッピングモールではありません。実はここはネット上の一部で「生きる廃墟」として有名になっている場所で、2008年の開業時に200店舗あったテナントが、現在は実質3店舗にまで減っているというすさまじい状況になっています。あのイオンモール京都でさえ130店舗ですから、ここの巨大さは相当なものです。

今もなお館内の空調は効いているし、照明もちゃんとついているし、入り口にはきれいな受付嬢もおられるしと、非常にシュールな状況で、怖いと言うよりは幻想的というか神秘的というか、現実ではないどこかに迷いこんだ感じで、申し訳ないけど非常に楽しかったです。
営業中の3店舗の一つであるカフェでみんなでお茶をしましたが、座り心地の良いソファーでゆっくりくつろげて、窓からはびわ湖が一望できるし、ものすごく快適でした。ここが最後まで生き残ったというのもうなずけます。

モール側では、こういう形で有名になるのに困惑しているようで、残念ながら最近になって館内撮影禁止になってしまったので、写真は撮れませんでした。禁止になる前に撮られたらしい写真を転載しておきます。今年の終わりには再生に着手するようですが、さすがにこんな立派なモールがこれではもったいないので、頑張って欲しいところです。

旧紀州鉱山のトロッコ列車2012年05月22日 19時48分30秒


旅行の二日目、龍神温泉から本宮を経由して新宮方面へと向かう途中で、そう言えばこの辺りに鉱山鉄道が残っている場所があったような、ということを思い出した。調べてみると、湯ノ口温泉というところに旧紀州鉱山のトロッコ列車が残っていて、温泉へ向かう交通手段として使われているらしい。
面白そうなので、立ち寄ってみようと言うことになった。

酷道の狭い山道を走り抜け、湯ノ口温泉にあるという駅にたどり着くと、間もなくトロッコ列車がホームに入ってきたのだが、その車両を見て驚いた。まるで現役当時の鉱山鉄道そのものと言うべき極小の木造車両で、窓にガラスがあること以外は当時の「人車」そのままということらしい。

喜び勇んで乗り込むと、車内はものすごい狭さで、頭がつかえそうなほど天井は低い。走り出すと、足元からゴトゴトと強い振動が伝わってきて、恐ろしくうるさい。全線ほぼトンネル内というのも、いかにも鉱山鉄道という感じ。
所要時間はわずか十分間程度だったが、他の観光用「トロッコ」とは桁違いにリアルなこのトロッコ、非常に楽しくて、仲間と一緒に大はしゃぎしてしまった。
もちろん黒部峡谷鉄道だの大井川鉄道のダイナミックな路線とは比較にならないが、本物の鉱山鉄道を体験できるという点で、このトロッコ列車、おすすめである。





20年後の廃線跡は2012年01月24日 18時56分38秒


以前にも同じような記事を書いたことがあるが(と今確認してみたら、偶然にも6年前の同じ1月24日の記事でびっくり)1992年の冬、突然僕は鉄道の廃線跡歩きにはまってしまったのだった。

当時は今と違って廃線跡歩きのための本なども少なくて、図書館で昔の地図を調べたりしてルートを調べなくてはならず、結構大変だったのだが、それが楽しかったとも言える。
あれから二十年、恐らく当時とは僕の歩いた廃線跡の様相もかなり変わってしまっただろうと思う。上の写真は京都の狛田にあった陸軍の弾薬輸送鉄道跡だが、果たしてまだ残っているだろうか。また見に行ってみたい気もする。

しかしあれは、本当に寒い冬だった。

そして、軍艦島2011年07月22日 20時35分18秒







子供の時からずっと興味のあったあの軍艦島、今回ついに訪れることが出来ました。台風の接近で危ぶんでいた上陸も難なく果たすことが出来て、これ以上の満足はありません。天気が良すぎるくらいで、上陸中はものすごく暑かったですが(何せ陽を遮る物が何もなく、人工の地面はコンクリートで固められているので)、そんなことどうでも良くなるくらいに夢中になりました。

かつて五千人もの人間が暮らしたその海上都市が、無人になった今も当時の姿をとどめているというそのものすごさは胸に迫る物があり、船から全景を眺めつつ目頭が熱くなりました。これは何としてでも世界遺産にする価値があると思います。

昔、軍艦島をモデルに短編を書いたことがあります。今の僕から見ると、どうにもならない出来ではあるのですが、あれを何とか形にしたいという気持ちはずっとあり、今回はそのための取材という意図もありました。現地を実際に目にして、いつか必ず書き上げようという気持ちが固まりました。モチベーションという面から見ても、非常に有意義な訪問でした。

堅田のランドマーク2008年12月29日 14時21分45秒

(DP1作例、クリックで拡大します)

琵琶湖大橋のほとりにある「イーゴス」は、かつて世界一の高さを誇った観覧車。僕も昔、二回乗ったことがあるが、来場者の減少で数年前に休業。今でも取り壊されずに残っており、非常に目立つ廃墟となっている。イーゴスが近づいてくると、堅田に着いたことが分かる。

愛宕山鋼索線2008年11月08日 21時13分26秒

今週末は、今日も明日も秋晴れは期待できないらしい。この前の連休も、結局は愛宕山に登った土曜だけが快晴だったし、これではどうも元気が出ないね。

愛宕神社に登るついでに、山頂に残っているという戦前のケーブルカーの駅跡も見たいと思っていたのだが、時間があまりなくなってしまい、場所も良く分からないので今回は諦めることになった。このケーブルカーは清滝側にも、はっきりと遺構が残っていて、なかなか貴重なものとなっている(写真)。もっとも、由来を知らなければ、なんか妙な階段だなと思いながら登っていってしまうかもしれないが。

消えた鉄道2008年09月27日 22時35分41秒

そして、一週間が過ぎた。一時は一眼レフを床に落としてしまった(幸い、レンズの保護フィルターが粉々になっただけで済んだ・・と思う)くらい調子がおかしくなっていたのだが、ようやく落ち着いたようだ。

本格的に遠出するような気分にもならなかったので、三木鉄道の跡を見に行くことにした。今年の4月に廃止になった鉄道で、一年半くらい前に一度だけ乗ったことがあった。さすがにまだ廃止から間もないので、駅も線路もそのままだった(駅構内の機器に、ランプが灯ってさえいた)が、いずれ跡形もなく消え去るのだろう。