町並み写真館「栃尾」2019年12月30日 21時31分20秒



まちなみ街道の町並み写真館に、新潟の「栃尾」の町並みを掲載しました。
去年の夏に訪れた町で、有名な雁木の町並みももちろん良かったのですが、海沿いの平野から離れた場所にある、かつての拠点都市としての風格が気に行った場所でした。
1970年代までは越後交通の栃尾線が通じており、その駅舎がバスターミナルとして使われているということで、気になって見に行ったりもしました。

(旧栃尾駅のバスターミナル)

これで、まちなみ街道の今年の更新も終わりとなります。
今年は20周年を迎えた節目の年となりましたが、まだまだ淡々と更新を続けて行くつもりです。年明けにはさっそく新規の取材予定も入っていますので。




山口市のクリスマス2019年12月22日 10時57分22秒













山口市は人口約20万人、言うまでもなく山口県の県庁所在地ですが、平成の大合併前は人口14万人程度の都市で、下関や宇部よりも人口で下回ることで知られていました。

全国の県庁所在地の中でもほぼ最小規模の町で、中心市街地の商店街にも繁華街と呼べるほどの活気がないらしいと聞いていましたが、実際に山口駅から近い米屋町などの中心商店街を歩いて見ると、繁華街らしい雰囲気もいくらかは感じ取ることができました。井筒屋デパートの存在も大きいと思います。

商店街全体に飾りつけも施されていて、アーケードに面した「どうもん広場」では「冬の山口デー」としてイルミネーションが行われているなど、クリスマスムードも十分に感じられました。全体に若干淋し気ではありますが、それもまた良し。地方都市のクリスマスらしい雰囲気が味わえました。

なお、まちなみ街道別館の「地方都市のクリスマス」も更新を行っています。昨年の倉敷・和歌山の風景を掲載しました。

宇部のクリスマス2019年12月21日 11時31分15秒









宇部市は人口約17万、山口県第三の都市ですが、山口市が小郡町などと大合併をする前は下関に次ぐ二番目の町でした。
町の中心は宇部線の宇部新川駅周辺で、宇部興産の巨大な煙突がそびえ、メインストリート沿いにビルが並ぶ様子は主要都市の風格があります。

しかし、中心市街地の商業機能は相当に弱体化していて、昨年末には唯一のデパートだった井筒屋宇部店が閉店するなど、とても17万都市とは思えない寂れ方。人のいない12月の夜の街を歩いていると、寄る辺のなさが胸に迫ってきて悲しいくらいでした。

これはクリスマスムードどころではない、と思いかけたのですが、市内の各所でイルミネーションイベントが開催されていたらしく、幸いにも旧井筒屋近くの勤労青年会館と言うところも会場となっていました。ここはいくらか賑わいもあってとても良かった。
また、メイン会場となっている郊外の公園などとの間を結ぶ「イルミバス」というのが面白く、暗い街を走り去っていくその姿は見事に幻想的で、記憶に残りました。

町並み写真館「備後府中」2019年12月01日 13時00分43秒



昨日は色々用事があって、11月分の更新としては1日遅れとなりましたが、まちなみ街道の町並み写真館に、広島県の「備後府中」の町並みを掲載しました。
数年前のクリスマス時期に訪れた町で、個人的には石州街道を歩いた後に見たイルミネーションのほうが印象に残ってしまったりしましたが、町並みのほうもなかなかのものです。

タイトルは当初、単に「府中」としていましたが、東京に同じ府中市があったり、同じ広島県内(安芸? 広島市内といっても良い)に府中町もあるので、「備後府中」としました。町の名前に旧国名がつくの、好きですしね。

出口道(旧石州街道)の入り口。

町並み写真館「種蔵」2019年06月24日 20時24分40秒



まちなみ街道の町並み写真館に、一昨年に訪問した岐阜県の種蔵集落を掲載しました。南北に長い岐阜県のほぼ北端で、むしろ富山のほうが近く、この時は金沢で拾っていく参加者もいたので、北陸道経由で訪れたのでした。

本文中でも何度も触れたとおり、とにかく美しい集落で、十月の初めと言う時期も晩秋のような雰囲気でちょうど良かったかも知れません。もう少し遅かったら、かなり寒かったでしょう。
当時のブログにも書きましたが、集落内の宿も素晴らしく、もう全く言うことなしと言う良い旅行でした。翌日の、神岡鉄道跡の軌道自転車も楽しかったしね。



小さな町並み「楢下宿」2019年05月12日 20時19分20秒




掲載準備を以前やりかけたままですっかり忘れていた、山形県の「楢下宿」をまちなみ街道の小さな町並みとして掲載しました。
3年前の山形旅行の最後に、あと一か所だけ足を伸ばそうということで少々無理をして訪れた(他の訪問地と比べて、かなり南にある)のでしたが、規模的には小さいものの、雰囲気のある面白い集落でした。
何と言っても、古い石橋(眼鏡橋)が集落内に二つもあるというのが素晴らしく、こんな宿場町は他にはないでしょうね。

以前にも書いた通り、「小さな町並み」のほうがむしろ個性的なラインナップを選んでいて気に行っている部分があるのですが、なかなかストックが増えません。単に規模が小さければいい、というわけではもちろんないので、行ってみてたまたま気に入るかどうか、というのが難しいところです。あまりに見事だったら、「小さい」枠にはならないのですよね。

平成の最後だったが2019年05月01日 21時16分02秒


(質美八幡宮・産子集会所)


(旧質美小学校)


(綾部市内某所)

昨日は予定通り、いつものメンバーで京丹波・綾部方面のうらみち取材に出かけてきました。
たまたま平成最後の日ということになったので、「平成最後の遠出や」という話にはなりましたが、うらみち管理人の「そんなもん、いつも通りでええ」というありがたい言葉により、特別感も何にもないいつも通りの取材。

当たり前というかどこも空いてましたが(京都市内でさえ空いてるらしいという話です)、綾部の外れにある温泉施設は大盛況で、入場待ちになるほどでした。みんな旅行で経済効果が、というのはどうも怪しい話ですが、こういう気軽なところに人が集まってるのでしょう。
京都市内に戻ってラーメン屋さんを取材した後は、マクドで23時くらいまでダラダラしゃべって終了。まあ、こうやって20年やって来たのだから。

温泉の近くで、なかなか見ごたえのある建築物件(町並みに非ず)を見ることができたのですが、これはまた改めて紹介します。

選鉱場、この世の果て2019年04月14日 20時05分00秒







先週の続き。明延と並ぶもう一つの目的地が、神子畑の選鉱場でした。
ここは、明延鉱山から例の1円電車の軌道(明神電車)で運ばれてきた鉱石を処理する施設があった場所なのですが、山の中腹には古代遺跡のような施設跡や鉱石を上げ下ろしするのに使われたインクラインの線路跡が残っています。
神殿のような見た目で有名なのが、濃縮・濾過用の設備だった「ドルシックナー」という装置で、直径30メートルもある巨大なものでした。
こちらも廃墟・廃線系が好きな人に、ぜひお薦めしたい場所です。



なお、こちらはあまり知られていないようですが、明延側にも選鉱場の跡があり、神子畑と同様のインクライン跡も残っていました。
しかし、ここの崩壊っぷりというか荒れ果て方はさらに味わい深く、まさにこの世の果てという言葉がぴったりな風景でした。
明延鉱山見学の際には、鉱山町の風景と合わせて、こちらも見逃さないようにしたいものです。

重伝建に泊まる2019年04月06日 23時04分42秒



今日は兵庫県養父市の、大屋町大杉重伝建地区に来ています。この地区内の、本物の古民家に一棟貸しで泊まれると聞いて、旅行メンバーでやって来たのでした。
もちろん素泊まりですが、台所なども自由に使えて、三人で泊まるにはもったいないような広大なスペース。これが、一人3300円というから非常にお得な設定です。夜になるとまだ寒く、こたつに入ってぼーっとしているのも楽しい感じです。

町並み写真館「出雲崎」2019年02月24日 20時25分28秒

新潟・出雲崎の町並み

まちなみ街道の町並み写真館に、新潟の出雲崎の町並みを新規掲載しました。
さすがにここは行っておかないと、と長らく思っていた場所でしたが、昨年の夏にようやく訪れることができました。新潟県に足を踏み入れるの自体が20年ぶりで、台風で帰って来れなくなくなりかけるなどハプニングもありましたが、楽しい単独取材行でした。

まだ比較的涼しめの日でしたが、道の駅に車を停めてしばらく町並みを歩き、さて全体のどれくらいを見たかなと確認したらまだ2割くらいしか歩いていなかったことに驚き、慌てて全速力で歩いたら汗だくになった、という記憶が残っています。全長が3.6キロ、道の駅はほとんど端っこにあるので、往復したら7キロ近くも歩くことになるのでした。さすがに、車を移動させましたが。

紹介文中に書いた、油田跡の写真も載せておきます。鉄塔自体は復元されたもののようです。