深海2010年05月01日 08時37分44秒



京都駅が、海の底のようでした。

午後と図書館2010年05月08日 21時51分06秒


去年体調を崩して以来、わずかずつ回復を目指す中で、休日をどう過ごすかをずっと模索して来た。今年に入ってからは遊びに出かけるのは月に一日程度にとどめ、あとは午前は近所を散歩、午後は図書館で過ごすというパターンをずっと続けている。どうもこれが気分的にも体力的にもベストのようである。毎週のように、山陰だ北陸だと出かけていた頃が夢のようだが、そこまで復活するまでにはまだ当分かかるだろう。

図書館では旅行関係の本などをぼーっと眺めていることが多いのだが、せっかく図書館なのだからと思って、日本文学の名作を気の向くままに読み返してみたりもしている。梶井基次郎の「檸檬」「城のある町にて」など非常に良かった。

スイッチバック2010年05月15日 22時49分23秒


去年の今頃撮った写真を見ていると、ほぼ毎週のようにどこかに遠出している。仕事のストレスがかかればかかるほど、「気分転換」だと思って出かけまくっていた(それまでだって、そうやって乗り切ってきたのだ)わけだが、色々学んだ今から考えるとこれは全くの間違いで、ストレスが限界を超えかけているときは慎重な休養が必要だったのだ。個人的にショックを受ける出来事もあったのだし。

しかしまあ、いまさら何を言っても仕方が無い。あのまま乗り切っていたとしても、高くなり続けるハードルを越え続ける中で、いずれは限界に達したことだろうと思う。ひたすら負荷を増やし続けて、耐えられるかどうかを試すというのが人材育成だと思っている社風なのだから、まあそうなっただろう。周囲の人を見ていても、ひどい状況を乗り切ったら休む間もなくもっとひどい状況へ投入、というのが常識になっている。その結果ついに倒れた人も、ごろごろいる。そりゃまあ、過労死ラインの向こう側に五年も十年もいればどこかがおかしくなって当たり前だ。

客観的には左遷でも、こうして一度激戦地から撤退することになったのは、そう思えば幸いである。しかし落ち着いたら、今後の身の振り方を考えなければならないだろう。また激戦地へ戻るのか、それとも転身を目指すのか。

湯村旅情2010年05月23日 18時07分18秒







いつものメンバーで、兵庫県の湯村温泉に泊りがけで行ってきました。兵庫と言ってもほとんど鳥取との県境で、随分遠い感じでした。府外に泊りがけで出かけるのは、何と十ヶ月ぶり。

今回は、とにかく温泉場の雰囲気を味わおうと言うことで、現地での滞在時間を重視。いつもの旅行なら、途中で観光地だの町並みだのを回れる限り回るのですが、それもほとんどなし。旅館もまずまずランクの高めのところを選びました。

湯村温泉は、温泉街としての規模はそれほど大きくありませんが、ライトアップなどの趣向も凝らされていて、いかにも温泉場らしい情緒がありました。雰囲気をゆっくり堪能できて、満足です。

湯村ヌーベル町並み2010年05月30日 14時31分34秒



湯村温泉と言えば、「夢千代日記」(昔のNHKのドラマで、湯村がその舞台のモデルとなったとのこと)。で、その「夢千代日記」の記念館である「夢千代館」というのがあるのだが、これは要するに昭和の頃の湯村の町並みを再現したと言う、規模は小さいんだけど、まちなみ街道で言う「ヌーベル町並み」なわけなのであった。こう言う再現町並みと言うのは大好きで、何でだか知らないが心が安らぐ。