ならば、何を守るのか2006年04月02日 00時04分02秒

結局のところは、それが自らの柱となるからなのかもしれない。それでも、そこにきっと意味はあるはずだ。たとえ、同じことを繰り返すだけなのだとしても。
(写真は、名鉄岐阜駅にて)

雨上がりを、走る2006年04月02日 20時53分36秒

今日は夕方になってやっと雨が上がり、EC-02に乗って泳ぎに出かけた。冬の間は加速が悪かったのだが、もうすっかり元に戻っている。泳ぎ終えて、すっかり暗くなった町を走り出すと、空気がとてもすがすがしく感じられた。何度か深呼吸しつつ、水たまりの残るアスファルトの上を、低いモーター音とともに、なめらかに走り抜けるのだった。

落日に2006年04月05日 20時50分01秒

まもなく陽は沈み、積み上げた全てを闇の中、地の底へと運び去ろうとしている。逆らって飛び続けたとしても、独り虚空へ取り残されるだけだ。終わった世界の、その空に。

Back on my feet again2006年04月08日 00時34分05秒

以前にも触れたことがありますが、とても好きな曲なのです。何かを振り返るようなときには、必ず聴きます。(Round Table版)
ただ、訳詞がないので、歌詞の本当の意味がわからないのが残念です。何となく、雰囲気は伝わってくるのですけども。
ちなみに、この前ついに原曲のFoundations版(「恋するベイビー」)を試聴することができたのですが、随分雰囲気が違っていました。思った通り。

宇治の桜(1)2006年04月08日 21時14分01秒

今日はひとつ、桜でも見に行くかと、EC-02を走らせてみました。とりあえず宇治方面を目指してみたのですが、黄檗の萬福寺付近でちょっときれいな風景を見つけることができました。

港にて2006年04月09日 13時17分28秒

今日は朝から、花見がてらプールで泳ごうかとまたEC-02にて出かけました。少々肌寒い感じだったのですが、昨日に比べて明らかに加速が悪い。なかなか、気候に敏感な乗り物だったりします。

で、泳いだあとに散歩をしてきたのですが、桜は見事に満開でした。ここはかつての港で、水位を調整するための閘門が残っているのですが、その周辺に沢山の桜があって、きれいでした。花と、古い建築物という組み合わせは、良いものですね。

宇治の桜(2)2006年04月10日 22時29分29秒

黄檗からの帰りに立ち寄った場所で撮影した一枚なのですが、実はここ、陸上自衛隊の宇治駐屯地だったりします。その日はたまたま、桜の通り抜けが開催されていて、一般開放されていたのでした。全然知らずに通りがかったのですが、こんな時でもさっと寄れるのは、やはりバイクの良いところですね。

写真の塔は「彰史館展望塔」と言って、元々は給水塔だったものを、展望台に改造したものだそうです。やっぱり、桜と古い建物は良く合います。それにしても、自衛官の方々がはしゃいだり、模擬店の焼きそばを焼いたりしているのはなかなか楽しい光景でした。戦車の背後で咲き誇る桜を見てると、思わず「同期の桜」なんて言葉が浮かびましたが、あれは海軍か。

辿った道2006年04月13日 21時58分57秒

空転の挙げ句、
何も残せず取り残された、
そんな人生を。

デタッチメントの限界2006年04月15日 13時14分35秒

まるで悪い夢の中を歩いているかのように、現実感がない。もうこれ以上何もできないと言うのに、距離の取り方を見失って、抜け出すことができなくなってしまった。助け出した相手は、しかし助けてはくれなかった。この場所には、影しか残されていない。本来の場所へ、いつかは帰れるのだろうか。雨の中で、倒れてしまうのか。

水溶性の、悲しみに2006年04月15日 21時33分35秒

タイトルを書いてから、ちょっとキリンジっぽい気がした。どうだろう。

行き詰まった状況において、泳ぐことは数少ない現実的解決策だ。環境は変えられないが、気持ちの側を調整してギャップを埋めることができる。結局そうやって自分のペイロードを増やしていくことにしか、解決はない。

できるだけゆっくりと、決めた距離を、途切れずに泳ぐ。吐き出す息とともに、気持ちの底に溜まった澱が、わずかずつ減っていく。泳ぎ終え、コーヒースタンドで、未発表の原稿を読み返していると、少し自分を取り戻した気がした。外は、まだ雨だ。