つながっている2011年06月03日 21時21分53秒


昨日の夜、NHKの「らいじんぐ産」でポケベルの歴史を特集していたのを見て、昔使っていたポケベルを探してみたのだが、いつの間にか捨てたのだろう、見当たらなかった。
就職してすぐに買って、携帯に換えるまでの比較的短期間しか使わなかったポケベルだが、どこにいても友人たちとの連絡がつけられるというのはそれまでになかった新しい感覚で、世界が一変したような気がしたものだ。

携帯のメールを初めて使ったのも二十代の時で、まだその頃は携帯でメールをやりとりするというのは一般的ではなかった。メールの着信を示す紙飛行機のアイコンがとてもうれしくて、枕元の携帯に届く「おやすみ」のメールを見ると、「つながっているんだ」と心から思えたのだった。

理想の執筆環境は2011年06月04日 22時40分31秒


近所の商店街には、チェーン店のカフェやら、町家カフェやらがいくつかあって、休日の朝や夕方にはそれらのカフェで本を読んだり、超小型パソコンを持ち込んで文章を書いたりして過ごすことが多い。一番好きなのは写真の町家カフェで、非常におしゃれで落ち着く環境なのだが、あまりに雰囲気が良くてまったりし過ぎてしまうために、文章を書くには案外向かなかったりする。やはり、物を書くには多少の緊張感という物が必要なのだろう。

雨が降っても朝は朝2011年06月06日 18時57分43秒


学生時代以来の習慣で、梅雨時には谷村有美の曲を聴きたくなる。思えばあの頃も、色々悩んでたよなあと思う。ま、それが楽しかったんだろうけど。
若い人はもてるとかもてないとか色々大変そうだが、そういうことを全然気にしなくて良い歳になったというのは、ありがたい。服装くらいはそれなりの気は遣いたいと思うが、しかし最近はデパートもセレクトショップも、すっかり足が遠のいた気もする。

雨が降っても朝は朝 悲しがっても嘘は嘘 
次の誰かを見つけても まだ噂にはならないでいてね
ひとりだって朝は朝 髪をなでる風は風
何も変わりはしないけど あの日の痛み憶えていたい
(谷村有美,「朝は朝 嘘は嘘」,「Face」M-4)

昔書いた文章2011年06月08日 21時17分48秒


「ぽげむう」
社長が叫ぶ。
果たして社長は気違いか?
いや、違う。社長は、社歌如来になったつもりなのだ。
(「ドンジャラ・ホイ」より)

ラストダンス2011年06月09日 20時13分14秒


谷村有美と同じ頃の想い出として残っているのが、浜田省吾二枚目のバラードベストアルバム、「WASTED TEARS」だ。
当 時、バイトで買ったという新車のR32スカイラインターボ(名車ですね)で学校へ通っていた先輩がいて、その人が時々帰り道に家までその車で送ってくれた のだが、その時車の中でいつもかかっていたのが、このアルバムだった。夕暮れの国道を突っ走る時にかかるBGMとしてはぴったりで、特に一曲目の「LONELY」(イントロが、新車の車内イルミネーションにぴったり似合って見えた)、それに「ラスト・ダンス」が好きだった。

まあ、先輩も本当は女の子を送って行きたかったのかも知れない(実際僕も、その後自分も新車に乗れるようになった時、さっそく後輩の女の子を駅まで送ったりしたものだ。そう、バブル期の青春時代)。
しかし浜省だと、男二人で聞いていても何となくサマになるような気がしたのだった。今でもこのアルバムを聴くと、スカイラインターボで突っ走る夕暮れの国道24号線を思い出すのだ。

防災服2011年06月10日 21時19分51秒


被災地入りに向けて、例の防災服という奴が貸与された。こういうのを着るのは実は生まれて初めてなのであるが、気分が変わるように思う。
勤務地は、若林区に決まった。と言っても比較的内陸寄りの場所なので、津波の被災地を直接見る機会は無いと思うが、しかし被災者の皆さんとは沢山お会いすることになるだろう。

ラストショー2011年06月11日 17時48分32秒


考えてみれば、ロック系をほとんど聞かない僕としては、浜田省吾は数少ない例外なのだろう。恐らく、「過ぎ去った青春」みたいなものをテーマとしている曲が多くて、そこに気持ちが惹かれるのだろうと思う。

もう一つ想い出に残ってるのが、就職前に何人かで行った静岡へのドライブ旅行の帰り、東名を走る車内で流れる「ラストショー」を、乗っていた全員が一緒に歌ったという場面。「ああ、これが青春の最後なんだ」とはっきりと思ったのを憶えている。しかし、みんな歌えたというのが、当時の浜省人気のほどを示しているような。リンク先のYouTubeのコンサート映像も、そんな一体感を感じさせる素晴らしいものです。

さて、次回は仙台からお送りする予定です。へとへとで、そんな余裕がない、とかいうことがなければですが。






(浜田省吾,「ラストショー」,「EDGE OF THE KNIFE」M-9)

荒浜にて2011年06月13日 20時47分48秒

というわけで、昨日から仙台に来ています。
今日は仕事の後、現地の社員さんにお願いして、荒浜地区を案内してもらいました。ニュースで見られた方も多いと思いますが、津波で集落が丸ごと流された場所です。
そこは、かつて町があったとは信じられないような、ただ荒れ地が広がるだけの場所でした。家々は、土台だけがその名残を留めている状態です。

その後、玉里千尋さんにも名前を挙げていただいていた「利久」をやはり薦められて、駅前の商店街にある店で牛タンを食べに行きました。大変美味しかったのですが、にぎわう大都会仙台と、先ほどの光景とのギャップがあまりにありすぎて、混乱せずにはいられなかったのでした。

流れる岸辺2011年06月14日 20時51分41秒

仙台と言えば、とりあえず広瀬川だろうと思って、仕事が終わってから岸辺の公園に行ってみました。
さて、どんな川かと覗き混んでみたら、ものすごく下の方を流れていてびっくり。町なかの川ということで、勝手に鴨川みたいな風景を想像していたのでした。ちょうど陽が沈む瞬間、橋からの眺めはなかなか美しかったです。

大都会の夜2011年06月16日 20時47分38秒

五泊もするのか、長いなあと思っていた仙台派遣も、あっという間に最後の夜。なんだか名残惜しく、部屋に帰る気にもならずにアエルのスタバでなごみ中。

仙台はやはり大都会でしたが、町のサイズは人の感覚でつかみやすい、ちょうど良い大きさだと思います。東京や大阪みたいに、どこまでもひたすら都会でわけが分からなくなる、という非人間的な町では無いように思いました。派遣の前任者は、京都出身なのに東北大学に進んだという若手でしたが、良い学生生活が送れたのではないでしょうか。

肝心の仕事は、山積みの書類を地道に処理するような、何とも地味なもので、格好良くも勇ましくもありませんでした。しかし、この地道さの向こうにこそ、復興という目的地があるのだと思います。少なくとも、僕が作ったリストに載った人の中には、そのおかげで命が助かる人もいるかもしれません。自分では、十分納得の行く仕事が出来たと思っています。